しつこく粘った結果は
2020年1月14日 病院
こういう結末か。
もう、笑うしかなかった。
今日は決断の日だ。お腹の子の姿が見えなければ、流産の手術を決めなければいけない。手術をしなければ、自然流産するまで延々といっしょに居られる。だが、私の身体がもたない。母子ともに死亡になる。なにより、粘ってもお腹の子が育つ可能性はまずない。
足取り重く、診察室に向かった。
なお、本日もパートナーは病院内の喫茶店で待機だ。
あっ。
声が出そうになった。
医師に宣言される前にわかった。
お腹の子は、もう亡くなっていた。
子宮内の黒い穴の周りがぼつぼつしている。
これは、流産したことを示している。
なぜ、そんなことを知っているか?
妊娠が確定してすぐに、出産までに必要な情報をすべて調べたからだ。その中には、流産したときの対処法も含まれていた。どれほどキツクても最悪の展開を考えておく。これが、私の人生トラブル対処術だ。それが、今回も活きた。
お腹の子の命を絶つ。
そんな決断をせずに済んだ。
医師に頼んで、1週間決めるのを引き延ばした結果がこれだ。そして、自動的に来週の手術が決まった。手続きや必要なモノ、どんな手術かの説明を医師から受ける。
私は表情の穏やかさを保った。
だが、心の中では半笑いだった。
もう子がいないという哀しみ
心底イやな決断をせずに済んだ安堵感
この結末のおかしさへ笑い
なんか、もうぐちゃぐちゃだ。
この1週間は、お腹の子と最期の時間を過ごしたくて無理やり作った。したくもない決断をする覚悟も決めていた。それなのに、ふたを開けたら決断する原因が消えていた。嫌なことを避けられた、ホッとした気持ちはある。だが、ぐだっとするような脱力感はどうすればいいのか。
ただ、これだけは学んだ。
何でも早く決断すればいい、というものではないことを。
先週、もし決断していたら?
お腹の子の命を絶った罪悪感を、一生抱えこんで生きただろう。その重荷につぶれはしないだろうが、消えない傷として心に残るのは避けられない。私の体調にとって、手術を遅らせることは無駄どころか悪化の助けにしかならない。その決めない決断が、トラウマを増やす未来を変えた。
本当に、人生とは不思議なものだ。
人間の思考では及びもつかない結果を用意する。
最近は行動の早さがもてはやされている。けれども、時には踏みとどまることも大事だ。それを、お腹の子に教わった。アリガトウ。
さて、最後の仕事が残っている。
パートナーへの説明だ。
「流産してたうえに体調が悪いの。だから、全身麻酔の手術が決定しちゃった。来週、手術で入院が確定なんだ」
こんな言い方はあんまりすぎる。
言葉も、伝えるのが早ければいいというモノじゃない。
何事にもちょうどいい早さが存在する。
早いが絶対ではない。
自己紹介でもある記事
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