映画『カイジ ファイナルゲーム』に非常識を学ぶ
2020年1月24日 映画館
お腹が痛い。
なのに、なぜか私は映画館にいる。
去年と同じく、映画狂の友人に引っ張り出された。年が明けても、強引さはまったく変わらない。ヤレヤレダ。
今日、観るのは映画『カイジ ファイナルゲーム』だ。映画狂の友人が今年最初に見る映画が、ギャンブル狂の物語とは。沸き上がった笑いをこらえるのに苦労した。なお、私は狂人が出演する作品が大好きである。「狂気の沙汰ほど面白い・・・!!!」、原作者の別作品のセリフに心から同意する。
『カイジ』という作品は狂人だらけと言ってもいい作品だ。この傾向は原作の漫画も、アニメも、映画も、まったく違いがない。今回の映画では、どんな狂人が登場するのか。思わず体の痛みを忘れて動いてしまうほど、気になって仕方がない。
全身を襲う痛みに悶えながら、始まりの合図を待った。
うん、狂っている。
今回も名前がある登場人物は、全員どこか狂っている。
ここまで、狂人がそろうとは。
さすがだ。
映画『カイジ ファイナルゲーム』に登場する狂人の面白いところは、狂気と計画性が同居しているところだ。行動は狂っているのに無駄がない。自分の目的を達成するために、あらゆる手を打ち、未来を先読みする。ただ、その目的が狂っているだけである。
ここに怖さを感じた。
人は自分と違う意見に出会ったとき、否定の気持ちが浮かぶ。「こんな簡単なことも理解できないなんて愚かだ」、そんな言葉を口にする人もいる。ほとんどは事実のとらえ方が違うだけで、片方が間違っていることはめったにない。
ただ、間違いではないが不運を引き寄せる意見はよく見かける。自分も、周りも、破滅に向かう内容なのに気づかない。他人の意見だったら気づけるおかしさも、自分の考えだと気づけない。
この破滅に自ら向かう人は、賢さが足りない人だろうか?
「なんで、あんな馬鹿なことをするんだ」
きっと、考えが足りないと受け止める人が多いだろう。
だが、現実は違う。
物事のとらえ方と考える深さは、まったく関係がない。狂っていると多くの人が感じる思想の人が、平均よりも頭がいい例はゴロゴロある。むしろ常識とか、道徳とかの枠がないので発想の幅が広い。常人の思考は読みやすいが、狂人の思考は読みづらい。だから、狂人の計画は成功率が高くなる。予想ができない行動を止めるのは難しい。
ただでさえ行動がわかりにくいのに、
愚かだなんて油断をしたら
不幸な結末が避けられなくなる。
相手がおかしいと感じる時ほど、私は用心をする。自分の中に沸いた相手を否定する気持ちは、事実をゆがめてしまう。それに、自分の考えがおかしい場合もあり得る。相手に隙を見せないためにも、自分の考えを絶対視しないためにも、相手をおかしいと感じる自分をまず疑う。
映画『カイジ ファイナルゲーム』は、狂人の恐ろしさをマジマジと味合わせてくれた。原作を描かれた福本伸行氏の作品は、人生の落とし穴を警告してくれる作品が多い。ただただ感謝である。
物思いにふけっていると、映画狂の友人がつぶやいた。
「少しは表情が明るくなったようだな」
なんと、私を心配して映画に誘ったらしい。
狂人と良人は共存する。
人とは矛盾だらけの生き物だ。
ちなみに映画狂の友人は、パートナーも兼ねている。
私も活字狂なので、似た者同士カップルである。
狂人の視点からみれば、
常人が狂っているようにみえる。
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