”わからない”は素晴らしい
2020年1月27日 病院
今日は産婦人科に来ている。
流産後の様子を診てもらう為だ。
「子宮の中はきれいになっていますね」
医師が穏やかに伝えてくれた。
ホッとした。
「この様子なら、また妊娠できますよ。生理が始まるのに1~3か月はかかると思われます。子宮を休ませるためにも、生理が来てから1ヶ月は妊娠は避けてくださいね」
妊娠するだけでも、身体に大きな負担がかかるんだな。
「いや、3か月は様子をみてください」
ん?
なぜ、期間を延ばしたのだね?
「体調が戻るまで、少なくとも3~6か月はかかりますね」
あの、期間の幅が広すぎないか?
医師の様子を観察して、なんとなく状況が理解できた。子宮の状態はいい。だが、私に体力がない。だから、普通の人より回復が遅れる可能性が大だ、と。
産婦人科には、もう来なくていいらしい。3か月しても生理が来なかったり、激痛などの異常があれば予約を気にせず来てくださいと言われた。ふむ、体調が崩れる可能性もあるのか。
お礼を言って、産婦人科を出た。
そのまま、2件目の病院へ向かう。
次は診療所だ。
救急車で運ばれた話と、先ほどの診察の結果を伝える。さっきまでは大病院の産婦人科、今度は診療所の内科、なかなか大きな差だ。ただ、診療所の先生は週2回ほど大病院の診察を受け持っている。診察レベルに差はない。
「年をとったら、高血圧になるかもね」
さらりと、怖いことを言われた。
先生の言葉の切れ味は、今日も鋭い。
詳しく話を聴く。
妊娠中に血圧が上がる人は、年齢を重ねると血圧が上がる可能性が高いらしい。私は低血圧だ。ひどいときは『上64、下48』なんて数字が出る。それでも、高血圧になることがあると言われた。
ただでさえ、体温が34℃~40℃の差なのに。
血圧の差まで広がってしまうのか。
私の身体はいったいなんなんだ。
さすが、医師にも首をひねられるだけはある。
面白い。
私は”わからない”が好きだ。
”わからない”が理解できた瞬間の、
澄みきった青空を見上げたような解放感が大好きだ。
世間では”わからない”を不安に思う人が多い。特に人生トラブルの最中は、日々の生活の大変さと先の見えない怖さに心が疲れ切ってしまう。そういう方々をたくさんみてきた。
けれども、数々の修羅場をくぐった私からすると、”わからない”は祝福である。なぜならば、襲ってくる苦難をもし知っていたら、精神が耐えられないからだ。
50対1でいじめられる。
電話の最中に母の命が亡くなる。
寝たきりになる。
そして、お腹の子が流れてしまう。
前もって起こる出来事を知っていたら、きっと心が崩壊していただろう。不運な結末が訪れるとわかっていたら、きっと最後まで頑張れなかった。途中で全てをあきらめて衰弱死コースだ。かすかだとしても、希望があるから耐えられる。そういう時もあるのだ。
それに、わかりきった結末なんて面白くない。推理小説と同じく、どんな結末になるか”わからない”からこそ面白いのだ。犯人の正体がわかっていたら、推理小説を読む楽しみは半減だ。図書館でネタばれの落書きがあった。そのグチを知人に聞かされて以来、推理小説は購入一択である。わかりきった人生は、ネタがばれている推理小説より味気ないモノになるだろう。
私は”わからない”を熱愛している。今、最も注目しているのはパートナーである。10年以上の付き合いなのに、知識の底がまったくみえない。行動パターンや思考は多少よめるが、独特の発想にいつも驚かされている。ちなみに、パートナーは今日も付き添ってくれている。
付き合っている相手の妊娠時は、男の本性を観察するのにもってこいの機会だ。パートナーの対応は花丸である。こちらから手を離す気は、まったくない。少なくとも、パートナーの”わからない”が解明できる日までは。
ミロのヴィーナスは
両腕がわからないからこそ、魅力的である。
Amazon
自己紹介でもある記事
↓ ランキングに参加中です。