歩くリトマス試験紙の反応記録

『ありのままに、ゆったりと、みんなで』

【歩くリトマス試験紙の反応記録】生にしがみつく気がない、それなのに

生にしがみつく気がない、それなのに

 

2020年2月3日 自宅

 

「自分を大事にしなさい」

 

言われた回数を覚えていない。

 

 

私は長生きしたいと思ったことがない。生まれた時から、もしかしたら生まれる前から身体のどこかがおかしい。痛い、息苦しい、だるい、何も苦痛がない状態を味わったことがない。意識がある時は常に我慢をしている。

 

おまけに5~19歳は修羅場だった。寝たきりを鼻で笑えるレベルだった。大きめのトラブルに限定しても、話すだけで3日はかかる。一生、口に出せないような話も数えきれないぐらいある。死にそうになった回数は多すぎてわからない。

 

そんな人生だったので、死にたいと思ったことは何度もある。無意識に自殺しそうになったり、お茶碗半分のご飯も食べることができずガリガリに痩せたこともある。わざと危ないマネをしたことがある。

 

昔、首を絞めて脅されたことがある。

私は無抵抗だった。

 

相手はすぐに力をゆるめた。

「あんた、死ぬのが怖いと思ってないだろう」

 

それでも無反応な私に、相手は苦笑いしながら去った。

死を恐れない人間を、脅しても無意味だからだ。

 

 20代のときに、私は当たり前のことに気づいた。

 

どんな人もいずれ死ぬ。

だから、自ら死に向かう必要はない。

生きられるうちは、生きよう。

 

死に急ぐのをやめた。

 

そうしたら、息をするのが楽になった。

変えられない過去を悔やむこともなくなった。

1日、1日を、大切に生きるようになった。

 

その後、体調を崩し寝たきりになった。

けれども、数年かかったが無事に回復した。

今、これまでの人生で最も体調がいい。

 

生にしがみつく気がまったくない。それなのに、私は毎日を楽しく生きている。生きるのが苦しくて仕方がなかった。そんな過去の自分には想像できなかった未来だ。人生とは不可思議なモノである。

 

私にとって、死はお隣さんである。ときどき世間話をするような近しい存在だ。生も、死も、それほど離れたものに感じない。苦しみ抜いて死ぬのは嫌である。だが、死自体を怖いとは思えない。だからこそ、お気楽に生きていられる。

 

あまりに生きることに執着がないので、よく心配される。「もっと自分を大事に」、初対面の人にも説教されたりする。こちらとしては、後悔が無いように生きているだけなのだが。生き残ることが優先順位のトップじゃないだけである。この感情をわかってくれる人は80歳過ぎの方がほとんどである。死にかけたことがない人が理解するのは難しい考え方なのだろう。

 

『ちりぬべき 時知りてこそ 世の中の 花も花なれ 人も人なれ』

 

明智光秀公の娘である細川ガラシャ氏が残した言葉だ。私はこの歌が大好きである。命が消える最期の瞬間に、自分らしい花を咲かすことができたと思える生き方でありたいものだ。

 

 

死の寸前に

後悔しない生き方はひとつしかない。

 

一瞬、一瞬を、大切に生きる。

これだけだ。

 

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