歩くリトマス試験紙の反応記録

『ありのままに、ゆったりと、みんなで』

【歩くリトマス試験紙の反応記録】映画館の終わりを映画『テッド・バンディ』で見送る

 映画館の終わりを映画『テッド・バンディ』で見送る

 

2020年2月29日 映画館

 

新型コロナウイルスにかかったら死亡率が高い。

主治医にも「外出を控えて」と言われている。

 

だが、私は映画にいる。

 

映画狂のパートナーと共に、映画館の劇場で映画『テッド・バンディ』の上映を待っている。いつものように映画狂に引きづられた、のではない。今回がラストだからだ。

 

映画館が閉館する日

 

半年以上前から、閉館が予告されていた。

今日が最期の日なのだ。

 

生まれてはじめて入った映画館、その終わりを見届ける。

とても寂しい日だ。

 

だからこそ、映画館に向かう以外の選択肢がなかった。ちなみに、パートナーは近場の映画館が無くなることにブチブチ文句を言っている。観たい作品があれば、何時間かけても映画館に行く。その行動力があれば、問題はないだろうに。安定の映画狂である。

 

 それにしても、ラストだというのになんか締まらない。

 

感染症の騒ぎで人出は少ない。明るい作品を選ぶつもりが、なぜか殺人狂の実写を元にした作品の上映を待っている。半年前に閉館を知った時の想像とは、何ひとつかぶっていない。

 

終わりとは、そういうモノなのかもしれない。

予定通りにはならず、ただ消え去っていく。 

 

風がピューピュー入ってくる部屋を眺めるような寂しさを抱えながら、実在した連続殺人犯をモデルにした作品の上映ベルが鳴るのを待った。

 

うん、身勝手だ。

どこまでも自分の欲望に忠実である。

 

能力が高い人が自制をなくすと、ここまで恐ろしいことになるのか。才能も包丁と同じで、使い手の選択で全てが決まる。人を喜ばすことも、傷つけることもできる。才能があるゆえに危うさを実感した。

 

自分の才能を、欲望を叶えるためだけに使った。

その結末は、どこまでも救われない。

 

誰も幸せではない。

 

ふと、この映画館を想った。

周りを見渡せば、笑顔がある。

 

こちらの映画館、閉館前のお礼イベントを行っていた。閉館の発表から今日まで、半年の間、新作だけでなく古い映画を100本ほど上映していた。モノクロ映画まである徹底ぶりである。壁には、たくさんの紙が貼ってあった。来場した方の、映画館や映画への想いがつづられていた。懐かしい映画作品を上映してくれたことへの感謝の言葉もあった。

 

新型コロナウイルスの流行で世の中が慌ただしい。みんな不安を抱えている。それでも、この日、この場所ではみんな笑顔だった。

 

どうせ終わるなら、こういう風に去りたいな。

 

始まりがあれば、終わりがある。

人も、組織も、国も、いつかは消え去る日が来る。

 

終わりというのは残酷なものだ。

どれほど避けようとしても、避けられない。

 

その避けられない終わりに、どんな姿をみせるか。

そこに生涯がくっきりと現れる。

 

終わりにすべてが映し出される。そのことを閉館する映画館と映画『テッド・バンディ』という作品が教えてくれた。そして、気づいた。終わりにふさわしくない作品なんて、とんでもない。

 

欲望のままに生き、物悲しい結末を迎える。

笑顔と共に、多くの人に見送られる。

 

あまりに対照的な2つを同時に味わえた。映画『テッド・バンディ』は映画館の最期を迎える日に観る、最もふさわしい作品だった。こういう偶然を与えてくれる。これだから、人生は面白い。

 

なお、映画狂のパートナーはスタッフさんと不況について語り合っていた。相変わらず、予想外の行動をする人である。これだから、いっしょにいるのをやめられない。

 

パートナーが映画狂ならば、私は面白狂である。

 

1秒後に終わりを迎えても悔いがない。

そんな生き方がいい。

 

 

1秒後か、100年後か。

終わる時は、誰にもわからない。

 

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