引きこもり、10年でも余裕だ
2020年3月16日 自宅
「外出できなくて、イライラする」
申し訳ない、
私には理解できない。
自由に外出できない。
多くの人にとっては、ストレスのようだ。
ネット上のアチコチで悲鳴があがっている。家の中でもパートナーが『どっか行こうよ~』と69歳にして駄々をこねている。私の返事はいつもこれだ。
「行かない」
「あんたは、そればっかりだ」
不満をブーブー言われるがそよ風のようなものだ。家から一歩も出る気にならない。ぶっちゃければ、通院や支払いなどの外出ですら面倒だ。ずっと家にいたい。刀を観るとかの楽しい理由があれば、いそいそと着替えるが。
『10年間、引きこもれ』と言われても、私は笑顔でうなづくだろう。こんな風に思える理由はふたつある。ひとつは家が快適だという事、もうひとつはもっと大変な状況を味わったからだ。
私が貧弱すぎるため、家の設備は充実している。エアコン・空気清浄機・加湿器・除湿器で空調は完璧である。コーヒーメーカー・食器洗い洗浄機のような台所製品も問題ない。モフッとしたクッションも観葉植物もある。パソコン・スマホ・タブレットにウェッブカメラとマイクもある。ルームランナーなどの室内運動器具もある。本は100冊以上あり、購入した電子書籍はもっとある。というより、インターネットがつながっていれば文章・イラスト・動画は見放題である。ゲームも遊び放題だ。『刀剣乱舞』のような最近のゲームだけでなく、将棋・囲碁でオンライン対戦もできる。カードゲームに復帰してもいい。ゲームブックのジャンルも楽しそうだ。物語とゲームを熱愛する活字中毒、そんな私にはまったく困る要素がない。むしろ、10年では足りない。
だが、外出しなくても平気な理由のメインはソッチじゃない。家が快適なのはサブの理由である。引きこもりがちっとも苦にならない理由はコッチだ。
自由に動けるだけで幸せ
体調が悪い時、私は全身が痛みで硬直する。寝返りをうつどころか、足を伸ばすことすら出来ない。足をまっすぐ伸ばすだけで、延々と激痛が引かなくなる。鎮痛剤を飲んでも状況は変わらない。ふとんの上で身体を丸めていることしかできなくなる。ぐっすり眠ることもできず、ただ耐えるのみだ。ぜんそくの発作とかぶると、咳のたびに激痛を超える痛みと呼吸困難を味わい、喉が切れて血混じりのつばを吐く。ご飯すら食べられないのに、振動で胃がやられる。吐くものがないので胃液のかたまりが飛び出て、喉と口に大ダメージを受ける。そこに、高熱やむくみや湿疹などが追加される。
エンドレス激痛拷問に比べれば、外出できないぐらい何ほどのものか。全身ねんざレベルでも、私にとっては極楽である。
年始からの騒ぎを眺めていて、つくづく思う。耐えがたい苦痛は人によって違うんだな、と。同時に喜びの感じ方も人それぞれだ。自分基準で物事を判断してはならない。あらためて、心に刻んだ。また、パートナーが声をかけてきた。
「映画に行こうよ~」
「行かない」
パートナーにとって、外出自粛がツラいのはわかった。
けれども、外出するかどうかはまた別の話である。
誰かにとっての地獄は、
誰かにとっての天国である。
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自己紹介でもある記事
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