亡くすことで、得るものもある
2020年3月26日 自宅
いかんな。
最近、どうも涙もろくなった。
あの子がの取り戻してくれた
厄介な贈り物だ。
流産して、3か月近くが経った。体調はだいぶ良くなった、妊娠前の状態にはほど遠いが。身体は徐々にでも着実に治ってきている。だが、精神は違うようだ。
感情のブレが激しい。
前は何とも思わなかったことで、グサリと胸が痛む。イライラを抑えるのも難しくなった。感情を外に出さない仮面は崩れていないが、内心は大荒れである。感情のブレを鎮めるために、体力の消耗が増えた。おかげで、去年よりも疲れやすくなった。ただでさえ体調が良くないのに、まさかの追撃だ。
ただ、悪いことばかりじゃなかった。
感情のブレは悲しみや怒りだけでなく、喜びや感動にも影響した。文章、動画、ゲームなど、物語が前よりも面白く感じる。映画の悲しいシーンの涙腺ダメージが倍増したのには困ったが。喜びや楽しみの感度が上がった。
そんな激しくなった感情に振り回される日々が続いた。そして、今日、自分が勘違いしていたことに気づいた。感情のブレが激しくなったのではない。
感情が戻ってきた。
中学の頃に感情を凍りつかせた。それから20年、感情は戻ったと思っていた。どうやら、まだ現実との間にぶ厚いバリアを張っていたらしい。子ができた喜びと、喪った哀しみでバリアが薄くなったようだ。私は思った。
普通の人って、すごい。
これほど荒れ狂う感情を抱えて、よく日常生活を過ごせるものだ。ストレスがたまるのも当然である。おそらく、私の感情はまだ弱い。物語の世界はともかく、生きた人間への不信感は根深い。怯えている人格が常に精神をガードしている。感情が凍りつく前の心には戻らないだろう。
それでも、以前より世界が明るくみえる。
感情が凍りついたときの薄暗さを覚えている。モノクロですらない。すべてがグレーだった。色どころか、濃淡すらなかった。砂嵐の中、決められた道を力尽きるまで歩く。絶望の味すらしなかった。
今、私のみえる世界には色がある。子を失った瞬間を夢にみる暗い色もあれば、物語を楽しむ明るい色もある。安心して日々を過ごせる穏やかな色もある。心無い発言にイラッとする激しい色もある。
色の移り変わりが激しくて、受け入れるだけでも大変だ。なんせ、これほど感情が揺れ動くのは20年ぶりである。どう対処すればいいか、戸惑っている。感情が戻ってきてよかったのか。私には答えが出せない。
だが、これは喪った子が遺してくれたものだ。
どれほど扱いにくかろうと、否定する気はない。
子育ては自分育て、という言葉がある。私は育児をしたわけではない。2か月ほど、いっしょにすごしただけだ。それでも、これほど大きなものを得た。子というのは、すごいものだ。
亡くしたものが大きいほど、
得るものもまた大きい。
代わりには、決してならないが。
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