歩くリトマス試験紙の反応記録

『ありのままに、ゆったりと、みんなで』

【歩くリトマス試験紙の反応記録】夢はとっくに叶っていた

夢はとっくに叶っていた

 

2020年4月3日 自宅

 

4月1日に投稿した記事へのコメントが、今日も届き続けている。初日、二日目ほどの勢いはない。けれども、普段のコメントとは比べようもないほど多い。コメントだけでなくTwitterのフォローをしてくれる人も、ブログ読者になってくれる人もたくさんいた。Facebookも友達申請が100件以上だ。英文でのナンパが混ざっているのが、とてもFacebookらしい。苦笑しながら、ブロックした。

 

届いたコメントのほとんどが感謝の言葉だ。不安もあったが、新型コロナウイルス騒ぎのトラブル対処法を記事にしてよかった。エイプリルフールに投稿したのに 『この体験談はウソだ』というツッコミが来なくて驚いた。どうやら、この1年ちょっとで私の表現力は上がっていたようだ。ウレシイ。

 

信じてもらえた上に、もうひとつの心配も大丈夫だった。

 

私の文章には甘さはない。トラブル時の気休めは油断を招き、逆に相手を追いつめる。甘さに酔いしれて、人生の奈落に落ちる人をたくさん見てきた。だから、今回もドギツイ体験をそのまんま書いた。私の記事を読んだせいで、精神ダメージを受けないか心配だった。感染症の流行が起こすトラブルは命の危機だけじゃない。危機感を持ってもらうのも、記事を投稿した目的だ。

 

対処しなければ、どんな結果になるか?

哀しい実例がどうしても必要だった。

 

 コメントから察するに、精神ダメージがゼロではないがプラス面が補ってくれたようだ。『具体的だったのでイメージしやすかった』とのコメントがたくさん届いた。対処法だけ知っていても、自分事と感じられなければ意味がない。心に衝撃を食らったならば、真剣に考えてくれるはず。狙い通りになってホッとした。あとは、もっと前向きになってもらえるような返事をしたためるだけである。

 

 頂いた感想に、ひとつずつ返事を書いていく。

その中で、ある事実に気づいた。

 

2年前に願った夢が、とっくに叶っていたことに。

 

私は物語が大好きだ。

同時に、恩人のような存在でもある。

 

生きるのが嫌になった時、

どうすればいいかわからなかった時、

自分自身すら消え去ろうとした時、

 

最後の一線を踏みとどまれたのは、物語の世界のおかげだった。心が安らぐ場所があったから、何とか命をつなぐことができた。

 

私は物語に救われた人間だ。

だから、同じように前を向くきっかけになる物語を描きたい。

 

それが、私の夢だ。

 

自分の人生は自分の足で歩くしかない。病気の苦痛のようなもので、誰かが代わることはできない。どれほど大変でも、苦しくて投げ出したくても、本人が抱えて進むしかない。他人が出来る事はちょっとした手助けだけだ。

 

私の文章で、誰かを救えるとは思えない。

けれども、周りを見渡すきっかけになるような言葉を伝えられたら。

 

その夢が叶っていたことに、やっと気づけた。

 

「勇気をありがとう」

「元気が出た」

「気が楽になった」

 

ありがたいコメントは、これまでもいくつか頂いていた。それなのに、誰かを力づける物語が書きたいという夢が叶っていた。そのことに、まったく気づいていなかった。

 

言い訳させてもらえるならば、私が書いているのは小説じゃない。TwitterやFacebookの短文や日常をネタにしたエッセイもどきだ。物語じゃないから、無意識のうちに対象外にしていた。フィクションじゃなくて、ノンフィクションなのだから。

 

けれども、よく考えれば物語にこだわる必要はなかった。

誰かを元気にできるなら、形なんてどうでもいい。

 

自分を救ってくれた物語のように、そっと背中を支えたい。

それができていれば、夢が叶っている。

 

単純な事実に気づくのに、2年もかかるとは。

自分の鈍さにガックリした。

 

夢は叶った。

だが、私がやることは変わらない。

 

これまで通り、書きたいと思ったことを書くだけだ。自分の人生をひとつの物語と捉えれば、今の日常エッセイもどきでも物語を描いていると言い張れなくもない。ことばをつづる、私に出来る事は変わらずこれだけだ。

 

 

夢は、

想像したようには叶わない。

 

すでに夢の世界に生きていた。

 

ある日、ふと気づくようになっている。

 

 自己紹介でもある記事

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