ブラック人格降臨ギリセーフ
2020年4月10日 自宅
ストップ、私。
動きそうになる手を止めた。
これはひどい。
どれほど様々な機能を使っても、情報収集をするとイラつく投稿が目に入る。ネット断ちをすれば簡単に解決する。けれども、私は自由に動けない身体だ。インターネットにつながらないと、世間の様子も最新情報も手に入らなくなる。それどころか、買い物も、支払いもできず、勉強も滞る。ブログ記事などの投稿も出来なくなる。私にとってネット断ちは、五感を無くすことに近い。選べない選択だ。
意見は、いろいろだ。
行動だって、いろいろだ。
気にしたって、仕方がない。
理性ではわかっていても、感情が納得しない。投稿しようとした文章を消した回数を、もはや覚えていない。イラついているときの言葉は我ながらえげつない。私は明るい意見も、暗い意見も、どちらもつぶせる。
明るい意見には、これまでの闘病生活や貧困生活などを。
暗い意見には、相手よりもひどい状況を。
実話をぶつければ、ほとんどの意見は封殺できる。10~20代の頃に理性が飛びかけるほど怒り、心を折った相手が多少いる。おそらく、ネット上でも同じことはできるだろう。
普段、書いている過去の体験はマイルドなモノを選んでいる。結末は明るく締められるものばかりだ。私が味わったトラブルは、すべてハッピーエンドで終わったのか?
そんな、甘い現実は私にはなかった。
ただ耐えるしかなかった時、何も信じられなくなるような結末になった時、一方的に責められまま終わった時など、悪夢としか言いような体験もたくさんある。どちらかと言えば、ハッピーエンドよりもバッドエンドの方が数で言えば多い。明るい話を書くより、この時の経験をそのまま感情をこめて書く方が楽なぐらいだ。
だから、私は投稿を始める前に決めていた。
負の感情をあおる投稿はしない、と。
日本社会を攻めるネタはいくつも持っている。やろうと思えば365日、延々と批判できるだけの材料はある。人気の政治批判も、味わった体験を元に制度がどれほど現実に合っていないか語れる。
だが、それをして何か意味があるのだろうか?
読者の皆さまの反応から察するに、私は他者の感情を動かすことができるようだ。その能力を負の感情をあおることに利用したら。結果は、どう考えてもロクでもない。なので、私は薄暗い締めになる言葉はつづらない。
政治批判はすべきだ。
そういう意見もあるだろう。だが、私はしない。なぜならば、別の案が思いつかないからだ。より良くなる対策も思いつかないのに、批判だけしても周りの不満が高まるだけだ。対策を思いつくか、批判した結果がプラスに向く、それ以外は沈黙を選んでいる。どれほど、腹立たしさを感じても。
とはいえ、今回の騒ぎでさらけ出された人間の醜さはひどい。幼稚園の頃から人間の負の面は見慣れている。その私でも、これほどの悪意を一気にみてしまうとツラい。同じ感覚の人は多数いるようで、Twitterのフォロワーさんの中でも嘆いている投稿がたくさんあった。
なので、対処法を投稿した。私が利用しているのは音楽である。好きな音楽や心が穏やかになる音楽を流しながらネット上をぶらぶらする。私が選んだのは、ゲーム『刀剣乱舞』とアニメ『スレイヤーズ』、そして、永平寺の般若心経の回向である。
般若心経はパートナーからの紹介だった。よほど、私の顔色が悪かったらしい。「八つ当たりはごめんだ。これでも聴いて、落ち着け」とひねくれたコメントで教えてくれた。(お経を聴いても)と効果を疑いながら聞いた。結果は、すごく効果があった。すーっと荒れついたこころの海が静まっていた。疑ってすまなかった、パートナーよ。
おかげで、ジキル博士のようにブラックな人格に乗っ取られるのを防げた。主導権をとられてしまえば、ブラック人格が納得するまで止まらない。激怒して相手の心を折ったのも、この人格だった。ギリギリの崖っぷちだったが、なんとか降臨を防げた。ありがとう、仏教。
私は怒りたくない。怒るのは体力を消耗する。過去のトラウマを思い出しやすくする。できるだけ、穏やかな心で過ごしたい。その為に、いろいろと工夫している。
だから今日も、ゲーム『刀剣乱舞』を遊びながら、アニメ『スレイヤーズ』のリナの歌を聴きながら、般若心経の読経に耳を傾けながら、インターネットの世界をうろついている。
それでも、なかなか穏やかな心のままではいられない。
自分の未熟さを恥じるばかりだ。
感情のまま生きるのは、難しい。
感情を抑えるのは、さらに難しい。
感情を受け流すのは、もっと難しい。
e-hon
Amazon
自己紹介でもある記事
↓ ランキングに参加中です。