ラッピングを変えて、〇〇を変えず
2020年4月19日 自宅
また炎上している。
先月、ネット上で炎上した人が今月も炎上している。状況は前よりひどい。流れを追うと、どうも前回の炎上では発言がまずかったと謝罪したようだ。それなのに、今月も多くの人をイラっとさせる発言をした。そりゃ、炎が強くなるわけだ。
今回は投稿者が謝罪する様子がみえない。前回の謝罪は心からではなかったようだ。納得はしていないが、炎上したから仕方なく謝った。せっかく我慢したのに、また炎上した。ふざけるな。もう二度と謝ったりしない、徹底抗戦だ。この投稿者は分析をしなかったらしい。
なぜ、炎上したのか?
どれほど自分にとって理不尽だと感じても、炎上するのにはハッキリとした理由がある。ひとことで語るなら、誰かがムカついたからだ。面白半分もたくさん混ざっているだろうが、叩きやすい理由が無ければ攻撃はされない。
叩きやすい、というのがポイントだ。
むしろ、ムカつくよりも影響は大きいのかもしれない。
例えば、どれほどヒドイことを言っても弁護士は攻撃されにくい。なぜならば、法律の専門家だからだ。「もし、訴えられたらどうしよう」、この恐怖心があるので攻撃されにくい。怖そうな人も、やっぱり攻撃されにくい。いじめのターゲット探しと似た構図である。
恐れる理由がない。
攻撃しても、相手が悪いと言い訳できる。
つまり、一方的に攻撃できると感じさせたから炎上したのだ。痛い目にあうと思えば、攻撃をしてこない。安全な場所で、ストレスを発散したい人がネット上にはたくさんいるのだ。いや、対面の世界でも同じか。世の中は厳しい。
私は批判されそうな意見をよく書いている。ブログだけでなく、Twitterでも書いている。けれども、炎上したことはない。アクセス数が少ないから。それも理由のひとつだ。だが、もっと単純な理由がある。
批判をあまりしない病人
攻撃する人は攻撃されやすい。逆に言えば、攻撃しなければ攻撃されにくい。しかも、難病持ちの病人である。責めた相手が、弱い者いじめとぶっ叩かれる可能性がある。とどめに法律家の知り合いが複数いる。私自身も法律で修羅場をいくつかくぐっている。一方的に叩きやすい相手ではない。それだけの話である。
一度、炎上したことがある人はストレス発散リストに掲載された人だ。また炎上するネタが無いかと常に探られている。炎上しないためには、これまでの方法を根本から変えるしかない。言葉づかいや、その場の対応だけ変えても無駄である。それは不評なプレゼントを、ラッピングだけ変えて再びプレゼントするようなものだ。中身が同じなら、相手の反応も同じである。ラッピングを変えても、中身を変えなければ意味はない。それどころか、さらに評価が下がるだけだ。先月、炎上して謝罪したのに、今月も炎上した投稿者のように。
批判というのは避けようがない。誰もが傷つかない意見もなければ、すべての人が納得する意見もない。自分の意見を言う事は批判される事とセットだ。それでも、批判されやすい振る舞い方と批判されにくい振る舞い方の違いはある。もめ事というのは、ネット・対面の別なく疲れる。無駄にエネルギーを消耗したくなければ、周りの反応を予想したうえで投稿する。たとえ批判されたとしても、予想できていれば炎上する前に火消しができる。
そんなことを語りながら、私は好き放題に書いている。病人も、修羅場経験も、悪いことばかりではない。どんなカードも使い方次第である。
批判の的にならない方法は、常に多数派にいることだ。
少なくとも、自分だけ責められることは避けられる。
問題の首謀者扱いされるかもしれないが。
尊い犠牲は、
いつの時代もつくられるものである。
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