歩くリトマス試験紙の反応記録

『ありのままに、ゆったりと、みんなで』

【歩くリトマス試験紙の反応記録】終着点はわからない

終着点はわからない

 

2020年5月5日 自宅 

 

まただ。

今日も予定がズレた。

 

書き出す前に予定した結末と書き終わった時の結末が違う。自分の頭で考えているはずなのに、なぜか浮かぶ言葉が予想を裏切る。これで中身がダメならば没にできる。だが、いつも書きたかったテーマをより良く表現している。

 

実をいうと、予定通りの文章の方が私は少ない。書きたいことが頭の中で固まってから書き出すのに。なぜか予定の終着点から大幅にズレた位置に降りる。それなのに上空から眺めると、たどり着きたかった場所に予定よりも近づいている。私の選択基準はいつもこれだ。

 

面白いか?

 

読者の視点に立てば、当然の結論だ。読者からすれば、筆者がどう思っていようが関係ない。面白いか、面白くないか。気になるのはそれだけだ。自分の思考回路の暴れ馬っぷりに筆者が苦悩していたとしても。

 

私は悩んでいないが。

むしろ、面白がっている。

 

 自分でも、自分の書いている文章の結末がわからない。文末にたどり着くまで展開がよめないのだ。まるで未完の推理小説を読んでいる気分である。完結作を一番最初に目にするのは自分。活字中毒者として、これほど心がおどるシチュエーションはない。

 

 もちろん、不安はある。なにせ、自分でもどの道を行くのかわからないのだ。知らない街で道に迷ったような心地で書き続けなければならない。筋の通った文章になるのだろうか。毎回、ハラハラしながらキーボードを打っている。

 

 興奮と不安がセット

それが、私の文章への姿勢である。

 

 とても人生と似ている。

 

これまでの人生は予想外の連続だった。情報を集め、延々と考え続けたのに、予想はことごとく外れた。10代の私は今と変わらず活字中毒だったが、文章を書いて世の中に公開しようなんて思うことすらなかった。学校の宿題の読書感想文ですら、嫌々で書いていた。

 

予想が外れたのは不幸だったか?

 

そんなことはない。あの頃の想像を大きく離れているが、毎日を楽しく過ごしている。身体がへっぽこなので安定とは程遠い人生だが。この瞬間だけを生きる、この心意気のおかげでのほほんと過ごしている。

 

日々の興奮と身体への不安

こんなところまで、文章への姿勢とそっくりだ。

 

文章はやっぱり、書き手の分身なのかもしれない。

 

 

先がわからない。

だからこそ、人生は面白い。

 

honto

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