本を3冊、一気読み
2020年5月7日 自宅
楽しい。
この時間が、最も生きていると実感する。
誰にも理解されないとしても。
体調が戻ってきたので、久しぶりに制限を解除した。貧弱体質に鍛え上げられた集中力は体調悪化をものともしない。体温が5℃上がろうと、関節が痛みで熱を持とうと、目が真っ赤に充血しても欠片も認識しない。気づいたら朝、気づいたら夜、何度やってしまったことか。だから、深く集中するのを避けていた。だが、多少は体力が回復した。ちょっとぐらいハメを外しても良いだろう。それに、私もそろそろ限界だ。
読書がしたい。
本の世界に入り込みきれない。中途半端な読書にじわじわとストレスが積み重なっていた。戻った体調回復が数歩下がる結果になっても、この読書欲は一度スッキリさせた方がいい。家族の怒った顔が頭をよぎったが、ぽいっと脳の片隅に放り込んで封印した。ちゃんと説教は受けるから、しばらく見逃して。
都合の悪い事実から目を逸らし、本に向き合った。
楽しかった。
すごく楽しかった。
明るかったお空が真っ暗、家族の眼も吊り上がっている。身体もなんかぐったりしている。そんな状況を抱えるだけの価値はあった。やっぱり、私は活字中毒だ。文章をガッツリ読まないと生きている実感がわかない。読みたかった本を3冊ほど読めた。半年ぶりだと考えれば、なかなかの読書スピードだ。別にタイムアタックをしているわけでない。のめりこんだら、自動的に読む速度が上がるのだ。
本を3冊、一気読みしたらストレスが消えた。
世の中のほとんどの人には意味不明な文章だろう。変人なのは理解している。いいじゃないか、好きなんだから。読書は私にとって、食事で入浴で睡眠だ。仮に目がみえなくなったとしても、点字やオーディオブックで補う予定である。現代の技術進歩の早さなら、脳内に映像を映し出すことも可能かもしれない。すべて不可能だったとしても、覚えこむほど繰り返し読んだ文章が脳内メモリに残っている。死ぬまで文章から離れる日は来ないだろう。そして、その近くにはゲームが鎮座している。物語という柱に、文章とゲームがぐるぐる回っている。これが私の軸だ。
時間を忘れるほど好きなものがある。
これほど、幸せなことはない。
私はいつ読書を始めたのかも、いつ将棋・囲碁を始めたのかも覚えていない。記憶の始まりには既に存在していた。おそらく、記憶の終わりまで共にあるのだろう。
私の人生は安全運航とは言えない。
けれども、好きなものに何よりも早く出会えた。
その一点だけでも、私は幸運なのだ。
好き、これほど心強い感情はない。
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