歩くリトマス試験紙の反応記録

『ありのままに、ゆったりと、みんなで』

【歩くリトマス試験紙の反応記録】どっちがいいのかな?

どっちがいいのかな?

 

2020年5月11日 自宅

 

 私は平気だ。

だが、周りは平気じゃない。

 

この差が埋まる日は来ないだろう。

 

 

感染症の流行を抑えるため緊急事態が宣言され、収まりきらず延長されて数日が過ぎた。ネット上は不安と不満が飛び交っている。そんな騒ぎを横目に、私はのほほんとしている。炎上したいわけではないので黙っているが。世間との感覚の差は広がる一方だ。死への恐怖や金銭の不安がわからないわけじゃない。

 

もう、経験済みだもの。

だいたい予想できるから、不安になりようがない。

 

これが、私の心の声である。

 

感染症も、貧困も、差別も、死に目にあえないことすら経験済みである。相手が存命ゆえノンフィクションでは書けない、その他もろもろもある。

 

自分の死? 

病の痛み、息苦しさ?

 

死病の苦しみすら、何度も味わっている。生死の境は常連だ。死への恐れすら薄れるレベルである。組織単位のことはわからないが親の死、胎児とはいえ子の死すら経験済みだ。味わってない体験を探す方が難しい。

 

命の危険がない場所で、一日三度ご飯が食べられる。

そして、傍に本がある。

 

これで、幸せは基準値超えだ。おまけに心を許せる相手がいて、ゲームを楽しめて、インターネットにも繋がっている。どこにも不満を抱える余地がない。

 

ただ、気づいてはいる。こんな風に思えるのも、修羅場を駆け抜けた過去があるからだ。未体験なら、私も同じように不安を抱えていただろう。周囲を見渡して、ふと思うことがある。

 

ひとりで苦しい。

みんなで苦しい。

 

どちらがいいのだろうか?

 

いろんな年齢の方と交流するので、子供時代が似た方と出会うことがある。その方々のほとんどは70歳を超えている。戦後すぐの人たちと意見が同じくなる。「あの頃は、みんな貧しかった」とおっしゃる。

 

ここが、私との違いだ。

私は、みんなとは違った。

 

バブル期に戦後すぐが混じっているのだ。学校では、同級生と話がまったく合わなかった。持ちモノも、着ているモノも、食べているモノも違うのだ。とどめにアトピー性皮膚炎で見た目も違った。学校生活で楽しい思い出はあまりない。

 

だが、この時の経験のおかげで今は楽をしている。異物扱いに慣れた結果、周りの影響を受けにくくなった。安定なんぞ知らないからこそ、不安定な時代になっても何とも思わない。突然の環境の変化にパニックの世の中で穏やかに過ごせている。

 

 みんな

 

多く人の意見が一致しやすい、平和な時代は生きやすい。けれども、現在のような波乱な時代は意見が一致しない。みんな、これしか知らない人は戸惑う。何を信じるかも、どう動くかも、自分で決めなければいけない。選択を間違えた場合、その責任を自分が引き受けなければいけない。「みんなが言っているから」と選択を逃れられるほど、修羅場は甘くない。特に今回は人の生死がからんでいる。

 

 みんな、この土台が崩れた。

 ひとりを知らない人には厳しい時代だ。

 

そう考えると、ひとりで苦しいも悪くなかった。

肉体はへっぽこだが、精神のたくましさは身についた。

 

トラウマな過去を感謝する日が来るとは。

未来とは、わからんものだ。

 

 

集団しか知らぬものは、

集団の運命から逃れることはできない。

 

集団の行く末が明るいこと祈るのみだ。

 

 Amazon

 

 自己紹介でもある記事

www.ayube.jp

 

↓ ランキングに参加中です。

ブログランキング・にほんブログ村へにほんブログ村