パートナーが落ちこんだ
2020年5月12日 自宅
なんか、しょんぼりしている。
パートナーの様子がおかしい。不機嫌プンスコはよくあるが、しょんぼりはとても珍しい。とはいえ、素直に話すはずもない。気づかれないように探りを入れてみた。気分は探偵である。
15分後
理由が判明した。私のブログ記事が原因だった。どうも、私が記事に書いたしんどかった想いのいくつかを気づいていなかった。その事実に落ちこんでしまったらしい。
カワイイ人だ。
他者の気持ちが完璧にわかるはずもないのに。
私は親相手に感情を隠し切っていた生き物だ。感情を隠すのは仮面ではなく、体型すらわからない着ぐるみである。暗い心情を口にするのは好きじゃない。努力する姿を見せるのも好きじゃない。笑顔が標準装備の隠れ能面タイプだ。直情型の猪タイプのパートナーには理解しにくい生き物だろう。
誰かと争う場合、パートナーは正面から力で打ち破る。知略ができないわけではないが、卑怯とはほど遠い。私は負けたふりや暗器、先回りして逃げ道を防いだり、正攻法では勝負しない。被害は最小限に、効果は最大限に。敵の卑怯の罵声はほめ言葉と捉えるタイプである。お互いが、お互いの天敵である。
パートナーは、私に嵌められて力を発揮できない。
私は、罠をパートナーに力で強引に突破される。
論戦はいつも熾烈だ。
これほど性格が違う二人がいっしょにいる。自分でも不思議に思う。なんせ付き合い期間は干支一回り、12年を超えた。お互いに言いたいことはハッキリ言うので、たまに口げんかもする。相手の失敗に爆笑もする。年齢差30歳だが、容赦は一切なしだ。たまに年上として扱えよとか言われる。子供っぽい姿を数えきれないほど見てきた。それは無理な話だ。
なぜ、これほど違うのに共にいられるのか?
きっと、共通点も多いからだろう。
大事にする考えが似ている。
食の好みが似ている。
共に、本と映画が大好きだ。
考えが似ていても表現方法はまったく違う。お互い甘党だが私はプリン、パートナーはプリンアラモードだ。私は活字中毒、パートナーは映画狂だ。共通点があるのにどこかズレている。
このズレがいい。
私は面白いことが大好きである。自分と違う発想やセンスがとても楽しい。けれども、まったく共通点がなかったら生き方が重ならない。共に過ごす時間が苦痛になるだろう。同じだけど違う、このバランスがちょうどいいのだ。
しょんぼりしたパートナーを持ち上げるのに半日ほどかかった。ワイルドな猪がウリ坊だと調子が狂うのだ。猪突猛進で落とし穴に引っかかって転ぶのは笑えても、走る元気もないほどうずくまる姿は心が痛む。かわいくはあるが。
ちなみに、パートナーはカワイイと褒められるのが大嫌いである。真っ赤な顔してプンスコ怒る。そういう反応がカワイイと言われる原因なのに。
まったく素直な人だ。
ひねくれ者の私にとって、なごみ対象である。
凸凹は違うからこそ、ピッタリ合わさる。
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