『堕落論』に今昔を想う
2020年5月12日 自宅
ありがたいことに、時々コメントをいただく。TwitterやFacebookにブログなど、いただける場所は様々だ。だが、困りポイントは同じである。
書いてある意味がわからない。
本日、いただいたコメントにも困った。
「その考え方、堕落論だね」
『堕落論』?
えっ、なんですそれ。
私は、本を勘で選ぶ。結果、活字中毒なら読んでいるだろう。そんな本を知らないことがよくある。このコメントの語り方だと、おそらく有名なタイトルなのだろう。よかった、今回は『堕落論』というキーワードがあって。キーワードがないと探すことすら出来ない。
ポチポチと検索窓にキーワードをうつ。これは助かる。『堕落論』は青空文庫ですぐに読めるようだ。ということは、古典か明治~昭和初期に後悔された文章なのだろう。文章の著作権は著者の死後70年だ。それより前の文章でなければ、青空文庫で日本の文章はまず公開されない。
読んだ。
1946年作の文章だった。今なら炎上しそうなほど、日本社会をぼろくそに批判している。戦争が負けたことで思想をがらっと変えた、日本人の変わり身の早さを嘆いている。放送禁止用語だらけである。しかし、この著者はツンデレだ。
ボロクソにぶっ叩いているのに。
生き抜くためにはそれでいいと認めている。
昭和21年なんていう、自分が生まれる前の文章なのに。
今を語っているように感じた。
感染症の流行で常識がひっくり返った。これまでの当たり前が塗り替えられていく。これまでの方針が撤回される。発言が無かった扱いにされていく。「ハンコや手書きじゃないと信用できない」、なんて語ってた人がお役所のIT化の遅れに文句を言っている。意見をコロコロ変える人々の群れになんとも言えない気持ちになる。
ただ、見方を変えれば適応力があると言える。昔は過去の発言が都合が良かった。今は、手の平を返した発言が必要なのだろう。過去を覚えていて、「言ってることが違うやん」とツッコミを入れている私の頭が固いのだ。
人の意見を否定しまくってきた人たちに思うところはある。けれども、なにも言う気はない。うちの父のように「そんなこと言ってたっけ」と自己都合の記憶を捏造するだけである。無駄に疲れるだけだ、私はもう遅いが。
『堕落論』は、私の頭を冷静にしてくれた。きっかけをくれたコメントに感謝である。だが、ひとつだけもやっとしたものが残った。70年以上前の文章が現代に当てはまる。
それって、日本社会は成長していないのでは?
ギリシャ時代の哲学が
現代でも当てはまる人類のように。
とてつもなく、嬉しくない気づきである。
組織は構成員に似る。
特に悪い部分は。
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