歩くリトマス試験紙の反応記録

『ありのままに、ゆったりと、みんなで』

【歩くリトマス試験紙の反応記録】外側だからみえるもの

外側だからみえるもの

 

20202年5月28日 自宅 

 

「なんで、そんなことがわかるの?」

 

このセリフを今日も言われた。対面でも、ネット上でも、数えきれないほど言われた。私は、いつも回答に困る。「なんとなく」または「みればわかる」としか返しようがないからだ。こんな説得力ない言葉で納得してくれるはずもない。とはいえ、本当のことは言いづらい。

 

生き残るために身につけた特技です。

 

他者の発言や表情・環境など、すべての情報をひとつも見逃さないほど観察する。その情報を元に、最も平穏に過ごせるよう自分の言動を決める。それが幼少期の当たり前だったので、様々な状況をよむのは癖なんですよ。

 

これでも、だいぶマイルドに説明している。一度、ごく一部の実例と共に解説したら、すごく可哀そうな生き物を見るような眼をされた。私としては、そんなおかしなことを言ったつもりはないのだが。感覚のズレというのは埋めようがない。だから、ぼんやりとした返答になる。

 

最近は、もうひとつの理由に気づいた。

騒ぎの外だから、よくみえるということに。

 

体育の見学を想像してほしい。体育の授業を受けている生徒は、自分の動きとその周りだけで精一杯だ。だが、見学中の人間には、先生の動きも生徒全員の動きもよく見渡せる。

 

私は多重人格の症状の影響で、現実感が人よりも薄い。昔のように、現実を液晶の向こうのように感じてはいない。けれども、自分の感情すらも他人事に思える時がある。おかげで、自分の意思や常識を切り離して物事の観察ができる。

 

ことわざで”岡目八目”という言葉がある。囲碁で対戦中の人間より、観戦中の人間の方が戦況がよくわかりやすい。これが転じて、当事者よりも第三者の方が物事がよくわかるという意味になった。これが、私にはぴったりと当てはまる。

 

世の中の流れが他人事

 

繰り返し生死の境を体験したうえ、身内を亡くすことも多かった。その結果、お金・地位・名誉どころか、すべてに執着がうすい。10年後を流れを予測していても、その中に自分がいるとは考えていない。文章とゲームへの執着が数少ない例外だ。

 

常に、どこか他人事だからこそ現実を直視できる。これが「なんで、そんなことがわかるの?」への回答のひとつだろう。本音を言わせて頂ければ、「なぜ、わからないのか。それがわからない」だが。

 

尋ねてくる人は、自分も観察力を上げたいのが目的だろう。残念ながら、この観察方法は生きるか死ぬかのトラブルを年単位は乗り越えないと身につかない。それに、大きなデメリットもある。

 

余計なことに気づいてしまう。

 

気づかなければ幸せだった事実までみえてしまう。知らないフリの演技が出来なければ、トラブルに巻き込まれることもある。笑顔で交流する上司同士の長年の確執に気づいてしまい、退社するまで冷や汗ものだった時もある。気づかなければ、平和に過ごせたのに。

 

よくみえるというのも、楽ではないのだ。

 

 

美しい真実?

そんなものは物語の世界にしかない。

 

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