難しいとダメなの?
2020年6月5日 自宅
「こんなの、わかるはずがない」
それは真実なのだろうか?
ちと手強い本に出会った。知らない言葉が石のようにゴロゴロある。目が横滑りして、ページをめくる手が進まない。一回、読んだだけでは理解できない文章も多い。なかなかの難物だ。
面白い。
こういう本はワクワクする。
わからないの空枠に理解がパズルのように埋まっていく感覚が好きだ。すべてがピッタリとはまり『わかった』になった瞬間のスカッと晴れた青空のような爽快感がたまらない。私にとって、理解しがたい本はドキワクの推理小説である。
わからないを恐れない。この思考は貧弱体質がくれた贈り物だ。何日も、何か月も、学校を休んだ。おまけにわが家の方針は独学スタイル、両親は勉強をまったく教えてくれなかった。兄弟もいない、近所に教師役もいない。わからないことは自分で調べる、本が私の先生だった。だから、わからないを恐れる気持ちが理解できない。最初はわからなくて当然、ただのスタート地点という感覚だ。
それなのに、世の中にはわからないを異常なまでに恐れる人が多い。手にとってみるのはマシな方で、言葉の響きだけで「無理」と決めつける。なぜ、試してみる前にできないと察知できるのか。不思議でならない。
気になるとすぐに調べにいくため、行動が三歳児とパートナーに怒られた。失敗や挫折は数えきれないほどある。そんな私でも、試めしてみないと難易度はわからない。思っていたよりも難しい。意外と簡単だった。予想通りだった方が少ないぐらいだ。
難しい、簡単は学びの基準にはならない。今の自分には難易度が高すぎるならば、ちょうどいいレベルまで下がればいいだけだ。うちの本棚には小学生向けの問題集がある。まったく恥ずかしいとは思わない。基礎を飛ばせば、どこかで行き詰まる。私の判断基準は興味があるか、それだけだ。
赤ちゃんの時、「歩けなかったらどうしよう」なんて考えない。難易度を確かめることも、誰かに教えてもらうこともない。それでも何度も転んでいるうちに歩けるようになる。歩行とは違い、学びには向き・不向きはある。鹿は野山を駆けることはできても、深海に潜ることはできない。けれども、海を泳ぐことはできる。
わからないを恐れるあまり、自分の可能性を閉じてしまう。
もったいない話だ。
わからないは新たな世界への扉だ。
鍵を開けるのは大変だが、扉の先にはそれだけの価値がある。
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自己紹介でもある記事
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