歩くリトマス試験紙の反応記録

『ありのままに、ゆったりと、みんなで』

【歩くリトマス試験紙の反応記録】言葉には重さがある

言葉には重さがある

 

2020年6月15日 自宅

 

 私は文章が好きだ。

食事は忘れても、文章を読むのは忘れない。

 

年代、長さ、提供され方、ジャンル、評判

 

何も気にならない。

文章でありさえすればいい。

 

 

以前、試しに1日の行動を記録してみたら、起きている時間の2/3は何かを読んでいた。そういう、どうしようもない生き物だ。速読ではないが、毎日、欠かさず読んでいるので、これまでに読んだ文章量は自分でもわからない。「これまで呼吸した回数を覚えていますか?」と聞かれても応えられないのと同じだ。

 

そんな私が最も好きなのは、描写が細かい文章じゃない。うならせる内容の文章でもない。ことばの重さのある文章だ。たとえ、たどたどしくても、ことばに重みのある文章が好きだ。もちろん、描写が丁寧で内容が面白ければ、なお嬉しい。

 

 ことばに重みとは、なんだろう? 

 

何度か、考えたことがある。なぜ、文章を書きなれた人のことばよりも、まだロクに書いたこともない子供の文章が心に響くのか。幾度か考えた結果、この二つが浮かんだ。

 

経験と想い

 

借り物の文章は薄っぺらい。自身で何も体験することなく、ただ調べた情報だけ書かれた文章は、どれほど内容が良くても記憶からすぐに薄れていく。逆に、目新しい内容でなくても体験がイキイキと書かれた文章は頭の中に居座る。宣伝のプロが考えた文章よりも、個人のちょっとした感想が広まることがある。そんな口コミの強さも、体験の差で説明ができる。

 

 その体験の差より、もっと重みをことばに与えるのが想いだ。想いを数字で表す方法なない。手書きならともかく、キーボードやスマホのボタンで想いを現すことはできないのに。ぼんやりと書いても、感情をこめて書いても、見た目に差はまったくない。それでも、読んだ人の心へことばが刻む深さに違いが出る。

 

子供の文章が心に響くのは、大人のように余計な計算が無く、想いをただ書いているからだろう。子供の文章が果汁100%ジュースだとすれば、大人の文章は果汁30%ジュースだろう。体験なし、想いもなしの果汁0%ジュースだってある。果汁が入っていると偽ったジュースすらある。心によろしくない文章だ。

 

ことばの重みがある文章は計算では書けない。毎日を大切に生き、起こった感情をまっすぐに受け止める。文章力は、心に生まれたものを言葉にするスキルだ。心に生まれるものが薄ければ、そこから生まれることばも軽くなる。どれほど着飾っても、中身の貧相さは隠せない。

 

果汁100%ジュースにどれだけ近づけるか?

 私の一生の課題である。

 

 

文章は

書き手が思っている以上に

すべてを映し出す。

 

飲み物を口にした瞬間、

その偽りがはがれるように。

 

 

 自己紹介でもある記事

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