力を抜けたきっかけは
2020年6月22日 自宅
夜道で伝えられた言葉
今でも、頭に残っている。
体はともかく、心はのほほんで生活している。そんな私も、昔は自由に動かぬ体に情けなさを抱えていた。今日のように、ベッドで寝ているしかない日はそんな時間をふと思い出す。
脳内ではできることが鮮明にイメージできているのに、その1%も実行する体力がない。悪化していく状況にあがいても、ほとんど何も変えられない。自らのあらゆる弱さを憎んでいた。気力で体を無理やり動かし、力尽きて倒れる。少しでも動けるようになったら、また苦痛を抑えて走り出す。10代はその繰り返しだった。
体に悪い?
長生きできると思っていなかった。
それどころか、倒れたまま目覚めなければいいと思っていた。
周りは止めなかったのか?
ただ体が弱いだけの人を演じた。成人もしていない子供が感情を隠しきるなんて想像外だったのだろう。たまに違和感を感じている人もいたが、正体を見破られるほど生っちょろい道は歩んでいない。疑った相手に育児経験ありの先生もいたが、生死の境レベルの修羅場を豊富に経験した私の仮面を見破るには足りなかった。むしろ、自分の子の反抗期と同じ扱いをしようとして違いに呆然、自信喪失に陥っていた。この点は申し訳なかったと思っている。今の私なら、見せると決めた弱みだけを相談して達成感をプレゼントしただろう。
ひねくれている?
その通りだ。良い人とよく間違われるが、どちらかといえば性悪である。短気・ひねくれ者・面倒くさがり屋・疑り深い、物事を悪く考えがちで自信もない。体だけでなく、心も弱いところだらけだ。自分が大嫌いだった。自らを痛めつけるように生きていた。
そんな私が「まっ、いいか」「体が動かないのは、休めという天のお知らせ」「とりあえず、死神さんが鎌を振り下ろすまでは生きるか」とお気楽ゆるゆるになった。そのきっかけは、ある人に投げかけられた言葉だ。
相手の顔も名前も覚えていない。中学生の頃だった気がする。失った記憶が最も多い時代だ。覚えていないのも不思議じゃない。それでも、街灯に照らされた道とポツリと響いた声、感じた想いだけは覚えている。
「まるで張られたピアノ線みたい」
「いつか、プチンと切れそうで怖い」
当たっている。
心でつぶやいていた。
当時の私は、今の100倍はひねくれ者だ。誰をも、自分自身すら常に疑っていた。それなのに、この言葉だけは心にスーッと水が土にしみこむように入ってきた。なぜなのか、今でもわからない。
疑り深く素直じゃない。そんな生き物がすぐに考えを変えるはずもない。けれども、もらった言葉がずっと心にひっかかっていた。『糸が切れて自分がわからなくなってもかまわない』と感じていたが、なぜか忘れられなかった。
そんな日々を繰り返した結果、氷点下の冷たさで釘を打てそうなほどカチコチになった豆腐人間は解凍され、落とさなくともぐちゃりと崩れているおぼろ豆腐人間になっていた。これ以上崩れると、人としての生活に支障が出るレベルまでゆるゆるである。そして、その体験の数々を文章にしている。
私は、言葉をすごいと思う。
その想いは、あの夜道の記憶でできている。
たった一言、
その力を知らない人は多い。
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