街を歩くだけでも
2020年6月24日 自宅
変化の少ない生活
だからこそ、みえるものもある。
今日も寝込んでいる。というより、月数日を除けば布団の上だ。 目に映る景色の変化がほとんどない。液晶の中とテーブルの上の食事、それ以外は延々と似た映像に囲まれている。
なので、たまの外出がとても楽しい。
通院のついでが多いので、外出といっても移動時間は数十分だ。それでも、私には面白い。自宅では座っているか、寝ているかだ。停止した視界で動かぬ周りを眺めている。外出中は違う。自分自身も含めて、多くのものが動き回っている。絵画の鑑賞と動画の視聴、それよりも大きな差がある。
すれ違う人々
等間隔で動く自動車
ほころびる花々
耳に入る音も、マスク越しでも感じる香りも、肌で味わう風の温度も。家の中では触れることはない。心地よいものばかりとは言えない。それでも楽しめるほど刺激的だ。この感覚は旅に似ているのかもしれない。まったく同じものでも、旅先では違ってみえる。それが、私にとっては街歩きなのだ。
「成長したければ、旅に出ろ」
こういう意味の言葉は多くの本で見かけた。その視点に立てば、私は恵まれた立場だ。ぶらり散歩で味わう刺激が旅に等しい。お金も、時間も、体力もいらない。お手軽に成長の機会が得られるのだ。まぁ、対価は日々の苦痛なので安くはないが。
まったく同じものをみている。
それなのに、得るものが大きく違う。
外出が珍しくない人にとっては、散歩なんて日常の延長に過ぎない。むしろ、つまらない時間だろう。歩くのが好きな人でも刺激的には届かない。同じ場所、同じ時間を過ごしていても。決して、同じ感覚にはならない。
私は、旅で成長はできない。
行く体力がないから。
代わりに、散歩で受ける刺激がある。
多くの人は、散歩で成長はできない。
当たり前の景色だから。
代わりに、自由に旅ができる。
どちらがいいのだろうか?
答えのない問いだ。
どれだけのことを学べるか?
多くの場合、
何から学んだかよりも
どう学んだかで成果は決まる。
自己紹介でもある記事
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