チェックしないとわからん
2020年6月29日 自宅
面倒だな。
それでも、続ける意味はある。
朝、起きる。最初の行動は体温計を脇に挟むことだ。ピピっと音が鳴るのに3分はかかる。その時間、ただ待っているのは暇だ。なので、体温計を落とさないように気をつけながら血圧計を腕に巻く。こちらは30秒ほどで結果が出る。血圧と脈拍を記録後、人差し指にオキシメーターをつける。5秒ほどで出た血中酸素濃度を記録したぐらいで、体温計が結果が出たと知らしてくれる。あとは体組成計で重さだけでなく、水分量・脂肪率・筋肉量を調べる。
寝返りをうつのもしんどい時以外は、これが顔を洗う前にする日課である。毎日じゃないので記録は空欄だらけだが。自分の感覚とは違った視点で現在の健康状態を教えてくれる。
自分、ズレている。
医師や看護師の眼が色を無くす度、恐怖と共に抱く感情だ。慣れた行動をしているだけなのだが。一般の基準と比べると明らかにおかしいようだ。私が言葉を発した瞬間、診察室の空気が凍る。そして、「無茶はしないように」「我慢しないように」「何かあったら、すぐに来るように」と言葉を重ねられる。ひどいときは、医師と看護師の声が立体音声で聞こえたりする。輪唱のように、声が響きあったりするときもある。『仲良しだ~』とほほえましい。表情に出すと、冷え切った室内が冷凍庫になりそうなので必死で隠すが。
どうも、苦をお友達で生きているので我慢レベルが異常なようだ。私が『放っておけば、そのうち収まる』と動ける程度が、一般だと1cmも動かせない痛みだったりする。私基準で病院に行くタイミングを選ぶと、医師が初対面で説教を始めるほどひどい状態になっている。「なんで、もっと早くに来なかったんですか」、何度お叱りを受けたか覚えていない。
寝たきりまで悪化して、さすがに自覚した。自分基準で判断すると医師や看護師の鬼表情リストが厚くなる一方だと。というわけで、いろんな器具で体の数値を測る方法を日常に組み込んだ。正直言って、すごく面倒くさい。けれども、我慢していいレベルがわからないのでしょうがない。
何か月も記録をつけていると、いちいち記録を見直さなくても多くのことに気づく。体がむくむ前に筋肉量が落ちるとか、ぜんそくの発作前に体温が乱れるとか、脈拍がおかしい時は体をうまく動かせないとか、自分の体の傾向がみえてくる。
残念ながら、体調の悪化を防ぐことはできない。数値に現れたときはもう手遅れだ。あくまで、どういう症状でいつから苦しむかが予測できるだけだ。それでも、前もってわかっていれば予定を別の日に変更することもできる。活動量を減らし、襲ってくる症状を軽くする食品をとることで、体調の悪化を軽くすることもできる。これだけでも、枕につく抜け毛が減った。苦痛を耐えるストレスは高かったと気づけた。
「~をすれば、すべてよくなる」
そんな現実は私にはなかった。工夫に工夫を重ねても、状況をほんの少し改善できたぐらいだ。それでも、我慢しているだけよりは良い今を引き寄せることはできた。
診察室で怖い顔を向けられる。
こっちも、なんとか改善したいものだ。
ほんの少しの変化も起こすのは難しい。
だが、その変化が生み出すものを思えば挑む価値はある。
自己紹介でもある記事
↓ ランキングに参加中です。