良いがダメな時もある
2020年7月1日 自宅
あかん。
残念だが、変更するしかなさそうだ。
毎朝、体力を鍛える呼吸法をしていた。かれこれ1か月は続いている。呼吸法の紹介に書かれていた文は正しかったようだ。体組成計で示される体重は減り、筋肉量は増えた。続けていれば、ここ1年で太った体も元に戻るだろう。
だが、やめた。
体力の消耗があまりに大きすぎる。
呼吸法を行う時間はたった20分なのに。意識が夕方まで持たない。昼寝をしないと、ぼやぼや頭でブログ記事を書けなくなる。昼寝をしても、1日の回復量よりも消耗する体力の方が上回る。鍛えるというのは、言い換えれば体に負荷を与えることだ。筋肉が傷ついた後に強くなるように体力も増えるかも。そう考えて1か月ほど続けてきたが、このペースだと私の体が耐え切れずに力尽きる。ここが潮時だろう。
それにしても、体をあまり動かさない。呼吸法にすら体がついていかないとは。自分の貧弱ぶりはどれほどひどいのか。我ながら、ハハッと乾いた笑いがでた。ナレテマスガネ。
こんな風に、良い効果が出る行動を習慣にできても止めることがよくある。効果があったのだからガンガン続けよう、という結論に飛びつけない。私が最優先しないといけないのは体調の安定だ。これが崩れると、寝たきりや死という未来につながってしまう。健康な人にとっては大げさだが、私にとってはただの現実である。しかも、扉一枚分の近さの未来だ。一瞬たりとも、目を逸らすことはできない。
体力を鍛える呼吸法を続けたい気持ちはある。うまくいけば、キューピーのようなお腹とサヨナラできる。日々の動ける時間を増やせる。毎日、外出できるようになるかもしれない。それは、私が心から望んでいる未来だ。だが、転がり落ちれば底の見えない深い死の穴に飛び込むハメになる。そんなリスクはとれない。私はまだまだ本も読みたし、ゲームで遊びたいのだ。軽率な誘惑に乗る気はない。
よりよい未来は目指したくなる。
けれども、無理を続ければ今あるものすら失ってしまう。
未来を希みすぎて、現在を失う気はない。
それが、どれほど輝かしくみえても。
どれほど美しい色も
周りとの調和がなければ醜くなる。
自己紹介でもある記事
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