負の感情はそんなに悪いものなのか?
2020年7月8日 自宅
負の感情は邪魔者扱いだ。
それが、正しいとは思えない。
「うえたさんはいつもニコニコしているね」
よく言われる。なので、理性が吹き飛びかけるほど激怒すると「別の人かと思った」との感想をもらったりする。表情と内面が常に一致しているはずがないじゃないか。私だって、人間だ。好き嫌いもあれば、怒りも憎しみもある。「あんたの激怒が怖すぎるだけだろ」 パートナーよ、やかましい。
私が基本笑顔でいるのはトラウマと深いつながりがある。母が怒るとモノをぶん投げる人だった。そして、怒りや憎しみで人相が変わった血縁をいくつかみた。『怒りに飲まれると、この人たちみたいになるんだ』、子供の私はそれが嫌だった。だから、怒るまい憎むまいと感情を抑えた。不思議なもので、負の感情をつぶすと喜びや楽しみなどの性の感情もつぶれる。無表情の完成である。ただ、無表情のままだと日常が過ごしにくい。だから、笑顔を張り付けた。これで、常にニコニコうえたさんができあがった。
多くの人は相手が笑顔だと問題がないと受け取る。家で母の自殺を毎日のように止めていようと、何週間も食べていなくて空腹だろうと、体温が39度を超えていようとまったく気づかれない。すべてを疑っていたときは救いの手すら恐ろしかった。他者の目を欺いてくれる笑顔の仮面が最強の盾だった。
ただこの盾、ダメージ付きの防具だった。感情というのは、コントロールできるものじゃない。浮き上がった感情を抑え込むことはできても、感情を消すことなんてできはしない。抑え込んでいるだけなので、心の重荷が日々降り積もっていく。怒り、憎しみを自覚していれば発散して心を軽くすることもできる。だが、負の感情をもつことすら否定しているのだ。延々と、ドロドロとねばついたヘドロのようなものが意識の裏で溜まっていった。
その結果が、解離性障害による多重人格と記憶喪失である。
自分も周囲も気づいていなかった。パートナーが指摘してくれなかったら、今でも記憶が欠けていることを知らぬまま過ごしていただろう。1日のうちに記憶がない時間があるおかしさにすら気づけなかったのだから。意思の力というのは怖いものだ。自分自身ですら完璧にだまし切る。「普通は、あんたほど異常じゃないので記憶が壊れるほど我慢しない」「誰にも気づかれないなんて、あんたの本性腹黒すぎ」 パートナーよ、感謝しているが言い過ぎである。
負の感情は悪いもの
怒っちゃダメ、憎しみを忘れなさい。
心が壊れるほど耐えてしまった身からすると同意はできない。苦しみ、怒り、憎しみ、どんな負の感情も自分にとってマイナスな部分があるからこそ浮き上がる感情だ。今この瞬間に何の問題もなければ、負の感情をもつはずもない。すべて100%なんて人生はないだろう。だが、あまりに耐えることの多い人生は寿命を縮める。その問題があるところを教えてくれるシグナルが負の感情だ。負の感情におびえていたが、今では欠かせない大切な感情だと受け止めている。
負の感情を中心に生きるのは問題だ。
けれども、負の感情がない人生はもっと問題だ。
この世に、必要のない感情なんてない。
痛みはつらい。
だが、痛みがなければ傷がわからない。
たとえ、命を無くすほどの怪我だとしても。
血を流したまま、倒れるまで歩き続けてしまう。
痛みを感じなければ。
自己紹介でもある記事
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