風呂敷でよみがえる景色
2020年7月9日 自宅
なぜ、迷わなかったのか?
当然だったのだ、私にとっては。
レジ袋の有料化か。
ひどいときは月に一度も外出しない。それでも、他人ごとではない。私は必要のない出費は嫌いなのだ。たとえ数円だろうと払う気はない。元々、余分な包装は好きじゃないので「結構です」と断るが多かった。今度からは黙って袋を出すだけでいい。手間が省ける。ただ、この問題がある。
エコバックがかさばる。
体調が悪いときは、お皿どころかスプーンも持てない体だ。だから、外出できる体調でも荷物はいつも最小限にしている。手持ちのエコバックだと場所を取り過ぎである。持ち歩くかばんを大きくすればいい。けれども、外出後の体調悪化がひどくなる。冗談のような話だが、私の現実である。たった数百グラム重さが変わるだけでも翌朝の関節痛がひどくなるのだ。気楽には考えられない。
サイズが小さくて軽い。
収納量はそこそこ。
そんなものはあるだろうか?
脳内をグルグル検索して見つけた。
風呂敷
風呂敷ならば、条件にぴったりだ。たためば手のひらサイズ、広げればお酒の一升瓶でも包める。持ち手も自由に形を変えられるので腕への負担も軽減できる。私の望む条件にぴったりだ。
インターネットで検索する。あまりの種類の多さに驚く。完全防水の水を貯められる新素材の風呂敷なんてものを見つけた。購入しようかと思ったが、普通の風呂敷よりも重いので断念した。体への負担を基準にすると最優先は軽さである。わずか数十グラムだろうと増量は対象外だ。ちなみに色は紫、それ以外の選択肢はない。
風呂敷で紫、これだけでも探しきれないほど種類がある。すでに1時間が経過、頭がくらくらする。けれども、ピンとくるものがない。これまでの経験で、納得せずに購入したものは使わなくなると知っている。その無駄を思えば、この時間は必要な投資だ。気に入ったものならば、10年以上だろうと壊れるまで使い続ける。そういう性格なので、多少時間を使っても十分に元がとれる。
さらに30分経過、ついに見つけた。
紫と白を組み合わせた風呂敷、即購入を決めた。同時に、なぜこれまでの色鮮やかな風呂敷で納得できなかったのかがわかった。購入を決めた風呂敷は高いものじゃない。心躍る模様があるわけでもない。ただ、私には見逃せない特徴があった。
母が使っていた風呂敷とまったく同じだった。
うちの母、幼少期は富豪の娘だった。一番身近だった商売は呉服屋さんだった。戦後の動乱で食べるのに困るほど貧乏になったが、いくつか着物を残していた。着物を普段着にすることはなかったが、小物は普段使いをしていた。風呂敷もそのひとつだった。残っていた着物や小物などは、母が亡くなった後に叔父がすべて処分した。私の手元には母が贈ってくれたキーホルダーと神社の銘が記された判子と時計、あとは写真ぐらいだ。
形あるものはごくわずかだ。けれども、思い出はたくさん残っていたようだ。紫と白の風呂敷を目にした瞬間、数多くの景色がよみがえった。片手で私と手をつなぎ、もう片手に風呂敷包みを抱えている母の姿が浮かび上がってきた。
これも、欠けていた記憶のひとつだった。苦しい記憶に巻き込まれて温かい記憶も仕舞われていたらしい。前回の心が重くなる記憶が戻ってきた時とは違い、今回は穏やかに受け入れることができた。少し、目の前がぼやけてしまったが。
風呂敷が思い浮かんだのも、紫以外を選ぼうと思わなかったのも、過去の記憶が原因だった。もしかしたら、無意識が記憶を引き出す欠片を探していたのかもしれない。ただ軽いエコバックを探すためだったのに。なんとも、不可思議な導きだ。
購入した風呂敷が手元に届けば、もっと思い出が戻ってくるかもしれない。
郵送されてくる日が楽しみだ。
持ち物の価値は、持ち主だけが決められる。
物の価値に値段をつけることができても、
物が語る思い出に値段をつけることはできないのだから。
自己紹介でもある記事
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