時間差投稿の利点
2020年7月15日 自宅
そうか、怒ってたのか。
わからんものだ。
今日もブログ記事を書く。投稿する文章は当日に書いている。当日に書いていない文章は10本あるかないかだ。けれども、内容は日付の示す通り4か月ほど前の話だ。ひとこと日記をメインテーマにして、思いついた言葉をつらつら書いている。
この形になったのは、ただの偶然である。ブログを開設した年に、父とパートナーが連続して心臓の手術をするなど様々なイベントがあった。ひとこと日記なのにテーマが数本できる濃度だった。しかも、捨て去るにはもったいない内容だった。というわけで、内容の濃い日だけは数回に分けて書いていた。人生イベントの乱発が落ち着いてブログ記事と日記を見比べたら、4か月以上の差がついていた。体調が悪すぎて日記が書けない時もある。空欄の日付の数だけ差が縮まっても季節1つ分の違いが残った。
書いているときに気づけよ。
そんな余裕はなかった。
なら、仕方ないね。
どうせ、もはや修正はできない。
まっ、いっか。
こんな行き当たりばったりの流れで時間差投稿の文章が定着した。今のところ、何も困っていない。タイムリーな話題をブログ記事に盛り込めない。アクセス数が気になる人なら大きすぎるデメリットだ。けれども、のほほん進行のうちには大した影響はない。むしろ、誤情報に振り回されることがなくホットな情報に興奮した人が来ないメリットの方がでかい。なにより、旬な話題は興味が失われやすいものが多い。当方ブログは常連さんや繰り返し読んでくださる読者様が多いのだ。最新の話題は、うちのアピールポイントではない。
炎上案件に巻き込まれない以外にも、時間差投稿には大きなメリットがある。自分自身のためにも、トラブル回避のためにも重要なポイントがある。
過去を冷静に観察できる。
自分自身の観察は最も難しい。つい、自分に都合のいい見方をしてしまう。これが、一定の冷却期間を置くと多少はマシになる。4か月というのはちょうどいいのだ。
ひとこと日記では平静な心で書くことが多い。夜、または翌日の寝起きなので眠いだけかもしれないが。量は1文なので、そのままではブログ記事にならない。圧縮したデータを解凍するように記憶を開いていく。そうすると、ズレに気づくことがある。解凍中にズレがなくても、文章を書いているうちに当時の感情が浮き上がってくる。「あれ? 私、すごく激怒してないか」とか、「強がっているけど、内心は泣いてないか」とか、日記を書いた日には気づけなかった想いが観察できる。
どうも私は、強い感情ほど抑える癖があるようだ。特にドタバタしているときは『悩む暇があったら、対策を考えろ』の精神で感情を置き去りにしてしまう。どんなもめ事が起こっても冷静に対処できる利点はある。だが、自分には欠片も優しくない癖だ。
また、月日が経っているので感情に溺れずに済む。怒りに駆られてきつい言葉を使いすぎたり、喜びでうかれて出さなくてもいい情報を出すリスクがない。感情に飲まれて書くことは飲み会で深酔いするようなものだ。普段の自分なら絶対にしない失言をする可能性が高い。しかも、飲み会と違いこちらは公開投稿だ。愚かな発言がずっとネット上に存在する。毒舌にも節度が必要なのだ。
自らを客観的に観察できる。
失言の投稿を防げる。
この2つのメリットはとても大きい。
偶然くれた贈り物を手放す気がない。
たとえ、季節感を合わせるのが大変でも。
寒い時期の投稿にかき氷や風鈴などの真夏のキーワードを書くわけにはいかない。されど、夏の内容に雪や除夜の鐘を出すわけにもいかない。メインテーマに必要ならば使う。けれども、例え話など他の言葉が選べるときには避けないと臨場感が薄れる。
文章というのは難しいものだ。
書けば書くほど壁に当たる。
毎日、どうすればいいかと悩んでいる。
だからこそ、面白くもあるが。
この悩みも、時間を置けば文章ネタになる。
時間は有り難い味方だ。
アツアツの食べ物は美味しいが
最も味がわかるのは少し冷めたときである。
自己紹介でもある記事
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