歩くリトマス試験紙の反応記録

『ありのままに、ゆったりと、みんなで』

【歩くリトマス試験紙の反応記録】タイトル詐欺はわざとなのか?

タイトル詐欺はわざとなのか?

 

2020年7月16日 自宅

 

 

おかしな文章に当たる。

その度に考える。

 

これはどっちなのか、と。

 

 

またか。

 

毎日のように万単位の字を読んでいると、1日1回は論理が壊れた文章に出会う。ネット上の個人が書いた文章だけでなく、書籍や新聞など複数の眼を通ったものでも見かける。文章の長さは関係ない。文章が長くても、短くても、おかしいものはおかしい。

 

タイトルと本文の結論が逆だった。

文章の始めのテーマと終わりのテーマが違う。

まったく違う意見がなんの説明なく散らばっている。

 

タイトル詐欺という言葉が生まれたのも納得である。ひどいものになると、タイトルと中身に何の共通点もないこともあった。個人ならば「文章を書きなれなくて」と言い訳ができなくもないが、会社組織レベルだと苦しい。

 

ニュースなどの情報は、タイトルやはじめの数行だけ読む人が多い。例えば、終わりの文章に『他にも意見があり、この結論は正しいとは限らない』と書いてあっても読む人は少ない。はじめの数行だけで確かな情報だと誤解する。それで、後から事実を知り「タイトル詐欺だ」と騒ぎになったりする。

 

これは、わざとなのだろうか?

 

私も、最初はわざとだと思った。多くの人を誘導するために、誤解されやすい情報を流す。責められたら、きちんと最後に説明してありますと語る。新聞やラジオ、TVが世の中に生まれる前から使われていた技だ。何の疑問も持っていなかった。

 

けれども、ここまで数が多いのはおかしい。今はインターネットで過去の情報が手軽に引き出せる。誤解されやすい情報を流しても誰かが証拠を元に否定する。誤った情報が先に広がることもあるが、ほとんどは事実が追いつく。昔ほど、ミスリードは簡単じゃない。今までのやり方を繰り返しているところもあるが、顧客離れなどの大ダメージを受けている。現実が見えない人がそこまで多いとは思えない。

 

文章がおかしいと気づいてないのでは?

 

この疑問が浮かんできた。最近はメディアも資金難で、取材をせずに記事をつくることも多いと聞く。つまり、誰でも手に入る情報を寄せ集めて文章を書くはめになる。発信者の影響がまったくない情報なんてない。主観だらけの偏った情報だけで文章を書かなくてはいけない。集めた情報を元に言葉をつづるのではなく、他者の文章をつなぎ合わせて記事にしているとしたら。文章の論理がちぐはぐなのも不思議じゃない。

 

気づいた瞬間、怖くなった。

 

自分も、同じようにおかしな文章を書いてないか。会社組織なら、編集担当など文章の誤りを指摘してくれる人がいる。私には、投稿するすべての文章をチェックしてくれる人なんていない。自分の意見の間違いに気づくのは難しい。

 

投稿前チェックを綿密にしよう。

心のリストに付け加えた。

 

ちょっとした恐怖を味わいながら、今日も文章を読んでいる。そして、論理がごちゃごちゃの文章に出会ってしまう。そして、毎回のように疑問が浮かぶ。

 

この文章のタイトル詐欺はわざとなのか?

 

文章力の低下に組織全体が気づいていない。

そんな悲しい現実でなければよいが。

 

タイトル詐欺の方がマシだと思う日がくるなんて。

人生とは、先がよめないものだ。

 

 

自覚ある悪人よりも

無自覚の悪人はより質が悪い。

 

悪意がないゆえに、

いつまでたっても非を認めはしないのだから。

 

自覚できる日まで。

 

 

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