歩くリトマス試験紙の反応記録

『ありのままに、ゆったりと、みんなで』

【歩くリトマス試験紙の反応記録】他者の過去には口を出さない

他者の過去には口を出さない

 

2020年7月18日 自宅

 

「いつまで過去に囚われないで」

 

軽々しく、口にする人が嫌いだ。

 

 

心理学の本を封印した。読んでも体調を崩さなくなるまで段ボール箱から出す気はない。体調を崩す原因なら手放すべきだ。それはわかっている。だが、

 

内容は面白いのだ。

 

脳内で健康を優先する派と活字中毒者が大喧嘩した。決着がつかなかったので段ボール封印、問題を先送りという結論になった。多重人格者の面倒な点である。多数の見方を一人で持つことができるが、意見がぶつかると論戦が終わらない。自分の脳内なので逃げることもできない。私の判断が早い理由のひとつだ。

 

脳内論戦がひどかったせいか体温が上がった。心理学の書籍からのトラウマ攻撃も原因かもしれない。体温が下がらないせいで、また脳内が騒がしくなりかけたが今回はメイン人各権限で黙らせた。一度、結論が出れば強権が発動できるのだ。最初から使えればもっと楽なのに。

 

そんな脳内の動きは他者からは見えない。おぞましい夢にうなされていることも知らない。そのせいか、表情が暗かった時代はよく言われた。

 

「悲劇のヒロインか」

「自分だけが不幸だと思うな」

「いつまでも過去に囚われないで」

 

私の対応はいつもスルーだった。こういったセリフを吐く人たちに注意を払うエネルギーがもったいない。自分は正しいことをしたと酔っている。酔っ払いに何を言っても無駄である。適当にかわして距離をとるだけだ。

 

ちなみに、「悲劇のヒロイン」と責められたときはお茶わん1杯のご飯も食べられないほど衰弱していた。「自分だけが不幸」と職員室に呼び出されたときは母が亡くなる半年前だった。「過去に囚われないで」と笑顔を向けられたときは、体中が激痛で寝られない時期だった。

 

面倒くさい攻撃がまだ続く。私の状況を知ると全員が同じセリフを吐く。「なんで教えてくれなかったんだ」、相手の立場に立って考えられない人間にプライベートを語るほど危機管理はぬるくない。自分が暴言を吐いたことを謝らず、こちらを責める続ける。自らの意見が正しいというスタンスを絶対にずらさない。再び、スルーを選択するのみだ。

 

こんな風に責められた経験が数えられないほどある。だから、私は他者の過去について何も言わない。何があったかと尋ねもしない。聞いてほしいと思えば、相手から口にする。わざわざ、聞き出す必要もない。それに、過去は動かしようのないものだ。私が重視するのは目の前にいる人だ。過去のその人ではない。

 

同じ体験をしても同じ結果になるわけじゃない。自分の対応が有効だったのはあくまで自分だ。他者が試しても、同じようにうまくいくとは限らない。他者の苦しみを判断する権利は誰にもない。

 

というわけで、私は他者のプライベートに口は出さない。それなのに、なぜか個人的な情報をよくカミングアウトされる。心の内で『私が知ってもいいのだろうか?』と冷や汗をかく。初対面で墓に持っていくしかない秘密を語られることもある。『あの、出会ってまだ15分も経っていないんですが』、声なき悲鳴がこだまする。

 

それで、気が楽になるのならいいけれど。

私が言いふらす生き物だったら、どうするんだ。

 

毎度、説教をしたくなる。

こっちも、言葉にすることはできない。

 

見ず知らずのチビスケに打ち明けるほど

弱っている人間に追い打ちなんてできるか!

 

知りたい人は知れず、

知る気のない人に情報が集まる。

 

まことに、皮肉だ。

 

 

善意

 

悪意の別名で使われやすい言葉だ。

 

 

善意という暴力 (幻冬舎新書)

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