書籍『自分をえらんで生まれてきたよ』に貧弱体質への感謝を教えられた
2020年7月20日 自宅
楽だったとは言えない。
だが、嘆く気にはなれない。
注文していた本が届いた。体調が良かったので、すぐに読みだした。135ページほどの文字が少なめ、1時間ほどで読み終わった。何となく心惹かれ、購入ボタンを迷わずクリックした自分を褒めたたえた。
書籍『自分をえらんで生まれてきたよ』
重い障がいをもって生まれたりおくんが語った言葉、それを集めた本だ。分類としてはスピリチュアルになる。不思議な話だらけなので戯言だと批判する人も多そうだ。だが、私は読まずに捨て去るにはあまりにもったいない本だと思う。
自分だから、できることがある。
重い障がいがあるから届けられる。大人でも発狂しそうなほど苦しい治療の日々を嘆くのではなく、そんな自分だからこそ伝えられることがある。生きるとはなにかを考えさせられた。
もし、健康な体だったら?
貧弱体質で生まれた私は繰り返し想像した。食べたいものを食べ、毎週のように寝込むこともなく、行きたい場所に行ける。それは、どれほど素晴らしいことか。両親に看病の負担をかけることもない。健康な自分を思い描いた。
今では、そんなことはない。
健康をうらやむ気持ちはゼロじゃない。だが、貧弱体質だったからこそ得たものがある。老いや死への恐怖があまりない。物事への執着も薄い。自由に動けなかったからこそ、想像力が養われた。早く文章が読めたり、独学で困らなかったり、苦しことを笑顔で我慢できたり、大きなトラブルを冷静たり、貧弱体質が鍛えてくれたものは数多い。
健康は素晴らしい宝だ。
だからこそ、失われると衝撃を受ける。
遠かった死が身近になり、体がじわじわと衰えていく。
とてつもない恐怖だ。
私には、そんなものはない。
死は生まれる前から隣人だ。衰えどころか、ふとん生活の常連だ。最初から持っていないので、健康が失われる恐れなんてない。感染症の流行で健康な人が味わっている感情すら、私にとっては日常の一幕だ。健康を持たないからこそ、穏やかでいられる。
もし生まれる前からやり直せるとしても、私は断るだろう。健康な体は魅力的だが、穏やかな心には劣る。どんなときも平常心でいられる。貧弱体質がくれた最も貴重な宝だ。健康は失う可能性があるが、平常心はあの世まで持っていける。そういう点でも勝っている。
貧弱体質が鍛えてくれた数々の能力があったからこそ、病気以外の人生トラブルも潜り抜けることができた。健康な体で生まれていたら、心身ともに耐え切れなかった。心を壊して衰弱死の可能性が大だ。生きていたとしても、穏やかさとは無縁の人生だっただろう。
私にとっては、この体で生まれたことはベストだった。
貧弱体質に感謝だ。
書籍『じぶんをえらんで生まれてきたよ』はその確信を深めてくれた。重い障がいをもったりおくんの言葉だから、素直に心に届いた。おそらく健康な人の言葉だったなら「自分で体験したこともないくせに」という思考がよぎっただろう。
彼だからこそ、届けられる相手がいる。
私も、その一人だったようだ。
強さは正しい。
弱さは間違い。
そんな風に言い切れるほど、
世の中は単純ではない。
自己紹介でもある記事
↓ ランキングに参加中です。