失うのは寂しいが、無いよりはいい
2020年7月23日 自宅
何もないよりは。
ステキなのだ。
もう、叶わないとしても。
泳ぐのが好きだ。
今は泳ぐどころか、プールがある場所に行くこともできないが。私は泳ぐのが好きである。運動神経が壊滅しており、スポーツテストでワースト1位争いを繰り広げていた。その中で唯一、真ん中以上だったのが水泳だった。
読書と同じく、いつ泳げるようになったのかは覚えていない。両親の話から推測すると、貧弱体質とぜんそくを軽くするためにスイミングスクールに通ったのが始まりのようだ。年齢はおそらく三歳だと思われる。幼稚園ぐらいで通わなくなったが、代わりに夏場は毎日のように母と近くの市民プールに行った。夏休みの一番の楽しみだった。
プール通いは鳥取県に引っ越したことで終わった。けれども、泳ぐ機会は減ったが無くならなかった。親戚が海の近くで民宿を経営していた。サメ警報やクラゲ警報に驚いた。砂浜で生える草やごつごつした岩ですり傷ができたり、クラゲに刺されて足が赤くなったり、いろいろとトラブルがあったが泳ぐのは好きなままだった。
父がその場で料理してくれた海鮮鍋は他では味わえないうまさだった。調味料以外は、すべて現地調達である。他の人なら捨てるしかない毒ある魚も、フグの調理師免許を持っていた父にとってはただの食材だ。トラフグのような繊細さはないが、名も知らない小ぶりなフグの舌をはじき返しそうなしまった身の味を覚えている。
ちなみに、私は泳ぐスピードは速くない。ただ、距離はそこそこ泳げた。プールならば500m、海ならば浜辺からかすんで見える距離ぐらいは泳いだ。海は乗る波を間違えなければ力を抜いただけで進む。行きは沖に向かう波、帰りは浜辺に向かう波を見つければ体力はあまりいらない。プカプカとクラゲのように浮かんでいればいい。ただ、クラゲなどに刺されても足がつっても痛みで動揺しない。波を頭からかぶって鼻に水が入っても、力を抜き続ける。沖に向かう波に流され過ぎても、岸に向かう流れまで泳ぐ。どんな状況でもパニックにならない冷静さは必要だった。
次々と思い出が浮かぶほど、水の中が好きだ。水の中では、身体の重さも関節の痛みもあまり感じない。思うように動ける自由な時間が好きだ。
もう一度泳ぐ日が来ないとしても。
水道水で手荒れ
安静中でも息切れ
意識を前触れもなく失う
どう考えても、ドクターストップ案件である。医師から出ている運動ノルマが『1日1回、自力で立ち上がる』な私には泳げるほどの体調回復は絶望的である。プールのカルキに勝てるはずもなく、海は意識を失ったら一発アウト、川は健康な人でも危険である。
私は生まれつきの貧弱体質で良かったと思っている。もし健康だったら、日常のしんどさに耐え切れなかった。痛みも苦しみも慣れているのでヘラヘラお気楽に過ごせている。しんどくない状態を知らないからこそ、健康な状態との差で悩まずに済んでいる。
泳げる楽しさを二度と味わえない。それを、寂しく思う。ただ、健康と同じく知らない方が良かったとは思わない。両親との明るい思い出の多くは泳ぐことに絡んでいる。楽しく泳ぐことはできなくても、楽しい思い出は残った。
期間限定だったが、泳ぐ時間があった。
そのことに、心から感謝している。
喪失を嘆けるのは幸せなことだ。
嘆きを感じるほど、
大切なものがあった証拠なのだから。
自己紹介でもある記事
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