お気楽でいいじゃないか
2020年7月25日 自宅
ちょろい生き物だ。
自分のお手軽さが可笑しかった。
もやもやする。
今年は暗いニュースが多い。誹謗中傷による自殺だの、尊厳死の事件だの、感染症による差別だの、いい気持ちじゃない。環境が不安定になると悲しい現実が増える。心に余裕が無くなれば、その負担は弱い立場の人により多く押しつけられる。自らが過去に味わったことだ。ストレス発散になぶられることも、誰の助けもなく空腹や寒さに震えることも、ばい菌と呼ばれ部屋の隅に追いやられることも体験済みだ。死が関われば、人は簡単に理性を失うと知っていた。こうなると2月には予想できていた、防ぐ術がないことも。
予想が当たっても、何ひとつ嬉しくない。『扱う技術は進歩しても、人間は古代から一歩も進めていない』という確信が深まっただけだ。だからこそ、歴史や古典を学ぶと予測の精度が上がるという利点はあるが。中学生時代のすべてに絶望していた自分が蘇ってきそうなほど嫌な気分になる。絶望した自分の予測の的中率が高いのにも落ちこむ。
ニュースを読むとき、私は感情を切り離す。ニュースをきっかけに、過去がフラッシュバックすることがあるからだ。ドラマ1本分になりそうな修羅場が何個も一瞬で脳内を反射する。当時の感情を思い出せば苦しくもなるが、感情が無ければ記録映像にすぎない。「そんなこともあったな」とすら思わない。「こういう感情を抱えたという事は、この先はこういった展開になるかもしれない」とニュース分析の材料になるだけだ。死に怯えた自分でも、ただの観察対象になる。普段の生活でも自動で感情を切り離すときがある。冷静さを保つために身についた、心の防衛機能なのだろう。
そんな珍妙な生き物でも、他人事とは思えない暗いニュースが増えると心に泥が溜まってくる。読書やゲームの時間が増え、家族も含め人との交流が減る。睡眠欲も食欲も減っていく。この世との接点が小さくなる選択が増えていく。
なんとなく、薄ぼんやりしている。
そういう日が増えていたのだが、ある出来事でシャッキリした。あれもしたい、これもしたいと欲を思い出した。グーとお腹も鳴った。
クリエイターさんからの返信
年単位、ファンとして追っかけている方から返信をいただいた。暑苦しい熱意を込め過ぎた感想を喜んでくださった。こちらのワガママすぎる要望にも応えていただいた。うっひょーである。
山を覆っていた霧が朝日で晴れたかのように、メッセージひとつで鬱々としていた気分が吹き飛んだ。「現金すぎるだろう」と自分にツッコミを入れた。単位ギリギリで卒業が危ぶまれた日に『妖魔の封印』の絶版イラスト集を古本屋で見つけて天に感謝したり、体中が痛い日に『家庭教師ヒットマンリボーン』で大好きなキャラ二人のイラストで音楽CDが発売されると知って足取りが軽くなった10年以上前の午後を思い出した。私のお手軽な性分は何も変わっていないようだ。
とことん落ちこんでいる時に、よく喜ばしい知らせが届く。
安定はないが、運は悪くない。
私の人生はネタにあふれている。
お気楽すぎる?
それで、穏やかに過ごせるならいいじゃないか。
深刻になっても、何も良いことはない。
それも、過去の体験で知っているのだ。
数限りないほどに。
深刻になるほど、問題はより厄介になる。
最悪への準備は大事だが、
最悪の心持ちは最悪の未来を引き寄せる。
最悪なときほど、笑い飛ばす。
それぐらいでいい。
自己紹介でもある記事
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