歩くリトマス試験紙の反応記録

『ありのままに、ゆったりと、みんなで』

【歩くリトマス試験紙の反応記録】次に進む前に

次に進む前に

 

2020年7月28日 自宅

 

今頃だったな。

 

人生の切り替えは、いつもこの時期だ。

 

 

今年は安定が蹴り飛ばされた年だ。私は平穏を過ごしているが。私自身は変わらぬ生活、風邪にも耐えられない貧弱体質モードを過ごしている。けれども、周りは激動している。海外から日本に戻ってきたり、仕事がテレワークになったり、勤め先が変わったり、色々と連絡をもらった。そういう知人の話を聞いていると、ある共通点が浮かび上がる。その点でもたつくと嫌なイベントが起こる。何もなく過ぎ去った時も、何年か後に利子付きのトラブルが襲ってくる。

 

去り際

 

ここを綺麗にしないと、トラブル発生の種を人生に植えることになる。誰かを怒らせたり、多量の仕事を残したり、問題を片づけずに逃走したりすると厄介なことになる。確かにキッチリ手仕舞いして去るのは面倒だ。

 

職場を変えるだけでも挨拶だの、仕事の引継ぎだの、引き留めの回避だの、時間と体力を消耗する。けれども、乱れたままで去ったら後でどんなトラブルになって返ってくるかがよめない。人の縁は結構せまい。思わぬところで、過去の知人がひょっこり顔を出したりする。状況によっては、その知人の思いひとつで全てが決まったりする。もし、恨まれていたら? 結果は言うまでもない。

 

逃げ足の速いタイプがいる。すべてを押しつけて消える。押しつけられた側は大変だ。本人がいれば詳しい話が聞けるが、いないので状況判断のための情報収集から始めなければいけない。自分たちに都合の悪い話を言いたがらないのはどこも同じだ。どうしても時間と手間がかかる。すぐに対策すれば潰せたトラブルの種に時間を与えてしまい、大きく育つことがある。「あいつが言い残していれば」と心でつぶやきながら謝罪にに走り回るハメになったりする。これで、恨むなというのは無理がある。

 

どこかから去るときは、同時にどこかに行くときだ。次に進むための準備は、物事を終わらせるのと同じくらい手間がかかる。去る場所はこれから先、一度も関わらないかもしれない。つい、次のための準備を優先したくなる。すべてを置き捨てて、ぶった切りたくなる。これまでいた環境が虐待など、ひどすぎる場所だった場合は特にそうだろう。実は、そういう場所ほど入念な行動が必要だ。

 

私の人生の切り替えは、なぜか夏が多かった。完全に縁を切った場所はいくつもある。それでも、何もせずに去ったわけではない。二度と縁がつながらないように、徹底的に関りになりそうなものを切りまくった。住所や電話番号を教えないレベルではない。その縁とかかわる人間関係丸ごと切り離した。これも、去り際の片づけ方のひとつだ。

 

綺麗な去り際というのは、この場合は後腐れがないという意味だ。後からごちゃごちゃにならないように、びたーんとピリオドを打つ。美しい別れや優しい別れを目指しているのではない。だいたい、別れ際は「もう会わないんだから」と我慢が薄れて本音を暴露、修羅場になることがとても多い。その修羅場も含めて、しっかりとケリをつけて去るという事だ。なお、最も面倒だったのは何十年も放ったらかしだった遺産相続トラブルである。これまでの人生で、並ぶことなき面倒くささだった。死とお金が絡むと人間はロクなことをしないとよく理解できた。

 

生きていると、どこかで別れはある。

いかにうまく去るかも、人生を乗りこなすポイントだ。

 

 

物まみれの部屋のまま去る。

 

家を出るとき、物に当たって転ぶかもしれない。

何週間後に戻るハメになったら、カビだらけだろう。

 

きちんと片づけて去れば、そんな心配はいらない。

 

 

ドハデ散らから~ず 5個入

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