頼まれ事が面倒くさい
2020年7月30日 自宅
「作りたい」
探し物開始ベルの音が聞こえた。
昨日の説教が効いたらしい。感染症の流行が落ち着くまでジッとしている。自ら、言葉にした。自発的な行動に出た場合は本気である。少しは安心だ。それで、済めば万々歳だったのだが。
「発酵食品を作りたい」
「ちょっと、料理本を探してくれないか?」
ダウト
この発言で、世間を知らないのがよくわかる。最近はインターネットでレシピ検索が基本だ。動画を視聴しながら作る人も多い。その影響か、発売されている料理本はインターネット上に投稿されたレシピまとめがとても多い。写真投稿を意識しての見栄えや目新しさ重視か、お手軽クッキングな時短レシピが主流だ。父は調理師だ。簡単な発酵食品の作り方は知っている。つまり、父の注文は『料理人も納得できる発酵食品を家庭で作れるレシピが書かれた本を探せ』だ。しかも、父は文章を読むのが苦手な70歳だ。「絵が多めで文字少な目」の追加オーダーは聞くまでもなかった。
面倒くさい。
主流じゃないという事は、初心者向けが少なく書籍の種類も少ないという事だ。専門職が満足するような本は分厚く文章量も多い。これは、父のオーダーとは逆だ。検索するまでもなく、探すのが大変だというのがわかる。
すごく断りたい。だが、父は『本とゲームがあれば何年でも引きこもれる』性質の私とは違う。山歩きが趣味で、家でジッとしていられない性格だ。本日の電話でも、痛い体で山を軽く散歩したと言っていた。父の軽くは健康な人の長距離である。数十キロの山菜を背負って何時間も獣道を歩く男の言葉をそのまま受け入れてはいけない。何かすることがないと、感染症対策の自粛行動なんてできない。
「探すね」
これ以外の返答を選ぶ余地はなかった。
なお、父の発言からこの応えまでにかかった時間は10秒である。
電話終了後、目的の書籍をインターネットで探した。いくつかピックアップ、要約や評判を読んで書籍を絞っていく。かかった時間は5時間、読んだ発行についての記事は10本、目にした書籍は102冊、要約や評判を読んだ書籍は31冊、残った本は4冊、その書籍を注文した。書籍が届いたら父をイメージして最終チェック、郵送する予定だ。手元に残った本は文章資料枠として保存する予定だ。
ぐっだり
疲れた。
予想通り、疲れた。
今回のメリットは発酵食品について詳しくなったことだ。知らなければ、父にぴったりの本など探せない。工場での温度管理法とか、発酵食品を販売する場合の保健所での許可の取り方とか、自分が使いそうもない知識も増えたが。知識というのは、予想外のところで役に立つことがある。まぁ、いいさ。
こういった労力を、父はまったく知らない。だから、気軽に頼んでくる。私は裏の作業を言うのが嫌いなのだ。そして、相手の要望から外れるのも嫌いだ。父に限らず、誰を相手にしても。いらん手間が増えるとわかっていても嫌なのだ。そして、毎度ぐだっとする私を目撃してパートナーが怒る。どうしようもない悪循環だ。
頼まれ事をされる側は大変だ。
知っているので、どうにも他者を頼るのが苦手だ。
昔は頼まれ事と自分の作業を抱え、身体が持たずに倒れる。それを何度も繰り返した。意地があり途中で投げ出すことはなかったが、すべてが終わった後に独り部屋で倒れていた。結局、寝たきりまで悪化するまでこの癖は治らなかった。現在は、体力優先のお断り連打で乗り切っている。パートナーと父には頼み事をできるようになった。それでも、一度引き受けると手を抜けない。病的だとわかっているが、納得できないのだから仕方がない。
できないなら、断る。
引き受けたなら、キッチリ仕上げる。
これが、現在の方針である。
夜、父に「書籍を4冊見つけた」と報告した。とても嬉しそうに感謝の言葉が返ってきた。こういう反応だと、頑張った意味があったと思ってしまう。次に頼まれた時も、たぶんイエスと応えてしまうだろう。
やれやれだ。
頼まれ事を達成する。
その労力は
依頼者のイメージを下回ることはない。
「たいした手間じゃなかった」
この言葉の真は逆である。
自己紹介でもある記事
↓ ランキングに参加中です。