書籍『風姿花伝』は世渡りの教科書だった
2020年8月22日 自宅
なんとまぁ、正直な。
ずっと、隠されていた理由を察した。
Amazonの読み放題をチェックする。時間を奪っていく行為だとわかっていても、書籍タイトルを眺めることをやめられない。月数回に留まっているのが理性の抵抗だ。以前は外出の度、書店をブラブラしていた。長年の習慣というのは、なかなか抜けないものだ。
あるタイトルが目に飛び込んできた。前々から読みたいと思っていた書籍『風姿花伝』、世阿弥という日本の伝統文化を語るうえで外せない人が遺した書だ。伝統芸能の”能”について書かれている。その内容は他の芸術にも通じる。特に演劇の参考になる点が多い。物語をつくる助けになりそうなので、一度読んでみたいと思っていた。
当時の言葉と現代語訳と解説
すべてが掲載されている書籍が目の前にあるのだ。しかも、読み放題対象なので追加のお金は少しもかからない。読む以外の選択肢はなかった。
芸術の書籍を読むのに、理由がせこい?
古今東西、芸術というのはお金がかかる。当然のように、関連書籍も値段はお高めだ。高尚な考えは余裕がある人が実行すればいい。こちとら一般人は、締められるところは節約する。当然のことだ。
ワクワクしながら、書籍『風姿花伝』のダウンロードボタンを押した。
冷徹だ。
予想していたのとは、なんか違っていた。
一般人の方がほわほわしているよ。
「観客ではなく、スポンサーが喜ぶような演出をしろ」
「能が一番上手な人ではなく、世渡り上手に跡を継がせろ」
「スポンサーが離れても困らないように、地方巡業もきっちりしておけ」
芸人は夢を見せる商売
この言葉の意味が少し理解できたよ。
”能”という芸術には真摯だった。書いてある八割が技を磨くための教えだ。油断すること、奢ることを戒め、”能”とまっすぐ向き合う心得が説かれていた。芸術方面だけでなく、スポーツや文章や料理など技を磨きたい人なら為になる内容ばかりだ。それゆえ、後半部の酸いも甘いも味わい尽くした身もふたもない言葉に驚く。
技の部分は純粋
人の部分は悪辣
清濁併せのまないと芸術は遺せない。
世の中への冷徹な視点がみっしり詰まっていた。
こんな内容を舞台を楽しんでいる観客に見せられるはずもない。書籍『風姿花伝』が書かれたのは15世紀なのに公開されたのが20世紀だったのも納得だ。芸術は生活に必ず必要なものじゃない。それなのにお金はたくさん必要だ。重荷を背負ったまま生存競争を何世紀も勝ち抜いたのは、どこまでも冷静な判断があったからだったのか。
芸術の本に世間を生きる術を教わるとは。
こういう予想外があるから、本を読むのはやめられない。
書籍『風姿花伝』
世渡りの本としても一級品だった。
優雅に水辺で遊ぶ鳥
美しいと写真を撮る人たちに
水面下のもがきを見せることはない。
自己紹介でもある記事
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