報道には時間差がある
2020年8月23日 自宅
このタイミングに意味があるのか。
しばらく考えた。
本日のニュース欄で『新型コロナウイルスにより心臓に後遺症が、ドイツの研究所が発表』という見出しを目にした。まったく驚かなかった。一週間以上前に、ドイツ語の報道サイトで同じ内容の記事を読んでいたので。
日本語で報道されるまでに、なぜタイムラグがあったのか?
こちらの方が気になる。だいたい、新型コロナウイルスが血管に悪影響を及ぼす可能性がある。これは、春先に医療系の情報で発表されていた。情報の内容自体も目をむくほどの新しさはない。ドイツは昔から医療先進国だ。その情報は信頼性が高い。同時期に発表してもよさそうなのに、なぜ時間がかかったのか。日本の報道機関がドイツ語のニュースをチェックしておらず、日本の医学関係者から情報が回ってくるまで気づかなかった。医療系情報で米英独を外すなんて。そんな展開はなかったと信じたい。
こんな風に、報道には時間差がつきものだ。『情報は早さが大事』というイメージを世間は持っている。そのため、多くの人の興味を引くような情報が手に入れば即時に報道される。そう、勘違いされている。『情報を報道しない』というテクニックがあるという知識は広まっている。けれども、報道されるタイミングについてはあまり注目されていない。与える印象への影響大なのに。
最もわかりやすいのが辞任後の発表だ。現職と引退後では、あまりに受ける印象が違う。情報を受ける側が「どうせ、もう辞めた人の話だ」と長く注目しないのを期待している。辞任後に、本人にとって都合の悪い情報がよくニュースになる。逆のパターンはとても少ない。ここに何の操作もないと考えるのは、あまりにお人よしが過ぎる。
人の持つ時間というのは有限だ。報道チェックなんてやってられない。私は活字中毒の欲望のままに暴走していたら、たまたま報道の時間差に気づいた。報道の自由がどうだとか目的があって調べたわけじゃない。だいたい、報道の自由なんてものを信じていない。報道の始まりを歴史でたどっていけば、敵国で内乱を起こすために批判の噂を流すとか、有利になるようにこちらが正義な口コミを広げるだとか、政治的なものだらけだ。しかも、戦争がらみのオンパレードだ。幻想と幻想がぶつかり、勝った側が真実と記録される。そういう記録がゴロゴロと出てくる。私の眼には報道も政治の一種にしか見えない。
ただ、ニュースをネタに議論を繰り広げる。そういう場面をインターネットの普及で目にすることが増えた。幻想を真実だと思いこみ、会ったこともない他者を責める。その影響で命を失う人がいる。そういう事件は日本だけでなく、世界中で起こっている。
報道には意図があり、事実の正確さや早さは二の次だ。
知る人が増えれば、
少しは命を奪われる人は減るのだろうか。
それとも、また新たな争いの種になるだけだろうか。
ロクでもない答えが出そうなので、思考を閉じた。
どんな事実も、
言葉にすれば主観が混じる。
事実だけの報道なんて、
この世にあるはずないだろう?
自己紹介でもある記事
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