しんどいに囚われないために
2020年8月24日 自宅
なんか、ツライ。
私にも、そういう日はある。
のほほんと
朝一で「心臓の発作で倒れて、近々手術なんだ」と父から連絡が入ろうが、体中が痛くて夕方まで起き上がれなかろうが、財布の所持金が残り23円だったときも、淡々と日々を過ごしてきた。「この瞬間に判断しないと命がやばい」という修羅場の数々を成人までに潜り抜けたせいか、あまりパニックにならない。どうしようもないと不安に押しつぶされる繊細さはとうに無い。最初から持ち合わせてなかったのかもしれないが。
パートナーに『折れることなき強き精神』とふざけたコメントをされる。そんな私も、じっとりと沈む日はある。ふぅと「このまま死ぬのかな」との言葉がよぎった回数は数える気が起きないほどだ。状況証拠がそろっているのが痛い。主治医に「どうすればいいのでしょうか?」と尋ねたら、「痛み止めを飲んで歩くぐらいかな」との応えをもらってしまう。デッドオアアライブが現在進行形なので悲観的とは違う。『ちょっと歯車がズレれば、すぐにあの世へ』、これが医師の認定付きの私の現実だ。
なので、落ち込むことすら私には許されない。ただでさえ、身体がへっぽこ貧弱体質なのだ。心まで弱ってしまえば、すぐに三途の川を渡ってしまう。この世にしっかり欲望の杭を打ち、自分に執着の鎖をグルグル巻きつける。元々、物語以外への執着が朝靄よりも薄い。前のめりで欲に飛びかかるぐらいでちょうどいい。
「しんどいな」のような薄暗い思考を放置すると脳が自動で証拠を集めだす。母の家系は寿命が短いだとか、血縁だけで主要な病気のコンプリートができそうだとか、医師にも弱さを驚かれる原因不明だらけの体だとか、未来を儚む情報ばかりが思考を埋め尽くす。すべて妄想ではなく、誇張が1ナノもない事実だ。否定できないものばかり集めてくる底意地の悪さは自分相手でも容赦がない。
考えるほど、私の心に優しくない。それに、個人ではどうにもできない事実ばかりだ。つまり、考えても無駄である。だから、無理やり思考をぶった斬る。多重人格者であっても、同時にふたつの思考を浮かべることはできない。薄暗い思考が思い浮かぶ隙が無いほど、別の思考ですき間を埋め尽くせばいい。
読書にゲーム、身体が動かない時は妄想
とにかく、何でもいいので別なことを延々と考え続ける。ただ、油断はできない。明るく楽しい妄想が、気づかぬうちに悲劇な結末を迎えそうになっている。そういう時は、創作者権限で別のイベントを挿入してハッピーエンドにする。思考の綱引きを薄暗い思考が諦めるまで続ける。たまに眠ってしまい、夢の中で延長戦を繰り広げる時もある。現状、生きているので勝ち続けているのだろう。
のほほん、ほえほえで暮らしていたい。
ジメジメ、ドロドロは嫌だ。
こう思えるうちは、まだ大丈夫な気がする。
明るくなるのも、
暗くなるのも、
その方法はひとつも変わらない。
ただ、考えればいいだけだ。
自己紹介でもある記事
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