歩くリトマス試験紙の反応記録

『ありのままに、ゆったりと、みんなで』

【歩くリトマス試験紙の反応記録】忘れられない日付は

忘れられない日付は 

 

2020年8月26日 自宅

 

この日を、何も思わずに過ごせる。

何年経ったとしても、そんな日は来ないだろう。

 

 

忘れられない日付がある。8月26日、母の命日だ。これまでの人生でショックだった日ランキングで1位争いができる。前後も含めて、いろいろと酷かったの言葉しかない。唯一の救いは「ぽっくり死にたい」という母の望みが叶ったという点だけだ。他は、なんかもう酷いとしか言いようがないほど酷かった。当時、感情が凍りついていてよかった。振り返るたびに心から思えるほどの修羅場だった。二度と味わいたくない。

 

離れた場所に住んでいる母へ長期の休みを利用して会いに行ったら、男性と同棲していた。2週間ほど生活を共に過ごしたら、帰宅予定の前々日に同棲中の男性に襲われかけた、母がすぐ隣で睡眠薬で寝ているのに。長距離バスに揺られて父のもとに帰宅したら、付き合っている女性を紹介された。数日後、学校で担任の先生に「自分だけ不幸だと思うな」と𠮟られた。帰宅して2週間後、母との電話が急に途切れた。その晩に、4年後に司法書士事務所で相続問題で陰険バトルをする叔父から母が亡くなったと連絡が入る。その叔父にお葬式で「冷たい子」と他者の前で責められた。

 

8月26日を中心に3週間で起こった出来事の一部だ。このすべてを曖昧な笑顔で乗り切った。人前では泣きもせず、怒りもせず、自分の主張もせず、だ。もちろん、体調は悪い。高熱と咳にアトピー性皮膚炎で肌はボロボロ、父がパチンコん中毒だったので栄養失調のおまけつきだ。そのうえ、骨盤をズラしたばかりで歩くのも大変だった。15歳でこの状況、我が事ながらよく死ななかったなと思う。

 

そんな日付を忘れられるはずもない。今でも、8月26日が訪れる前の一か月は体調が崩れ気味だ。それでも、あの時に比べれば穏やかに思い出せるようになった。それに、この修羅場で数々のテクニックが磨かれた。

 

この時に駆使した演技力や感情コントロールは未だ健在だ。ストレスで摂食障害や薄毛になったことはあっても、冷静さを失ったことはない。この修羅場に比べれば、ほとんどのトラブルは些事でしかない。まったくなかったと言えないのが、私の人生の困った点だが。命の危機ぐらいでは揺らがぬ心は手に入った。

 

同時に、時間の癒し効果がすごいことも学んだ。あれほど苦痛だった出来事も、25年も経てば無痛ではなくても痛みは薄れる。どうにもできない苦しみは放置するようになった。なんとかできることは、当然なんとかするが。どうにもならないことは、人生にいくつもある。悩むだけ無駄案件は時間にお任せだ。

 

時間

 

これは、万能薬なのかもしれない。

 

 

そっとしておく。

 

これが、唯一の解決策なときもあるのだ。

 

 

 自己紹介でもある記事

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