得意神話が強すぎる
2020年8月30日 自宅
得意なことを基準にする。
人生が平坦なら、それもありだろう。
「好きなことを仕事にするといい」
「嫌いになるから、好きは避けた方がいい」
この議論が終わりそうにない。自由に職業を選べない。そんな時代は、向き不向き関係なく与えられた職で一生を終えていた。現代でもそういう立場の人たちはたくさんいる。それを振り返れば、きっと幸せな悩みなのだろう。この好きなことと共によく語られるのが得意なことだ。得意な分野を選んだ方がいい。これを否定する人はあまりいない。
自分の得意と好みが一致するとは限らない。それなのに、得意を基準に仕事を決める人が多い。周りからも勧められる。雇う側からすれば、当然の選択ではある。少しでもスキルが上がる余地が高い人材に働いてほしい。極端な話をすれば、仕事が好きで成績が微妙な人よりも、仕事を憎んでいても好成績を上げる人が望ましい。
ただ、雇われる側にとってはどうなのだろうか?
過去の日本のように、何十年も潰れない会社が多い時代ならいい。好きじゃなくても、暮らしていけるだけのお金が稼げる。生活のための仕事だからと割り切れる。けれども、今はどの企業も絶対に大丈夫とは言い切れない。身に着けたスキルが未来でも使えればいいが、自身の得意分野がロボットのする仕事になったり、職が消失することだってある。
得意分野で生きれば間違いがない。
そんな時代はとっくに終わっているのに。
未だに、得意を大事にする意見がまかり通っている。
この得意神話はとても根深い。
好きや得意は個人の問題だ。世の中は、そんなの気づかってくれない。時代に求められているものが残り、求められないものは消え去る。個人の資質だけで道を選ぶのは、人の一生のうちに何度も激しい変化が起こる現代ではリスクが大きすぎる。常に世間を観察して、自分の持つスキルが時代遅れじゃないかチェックする。『勉強は学生時代だけでいい』という意見に飲まれている場合じゃない。
時代は合わせてくれない。
時代に合わせた存在が生き残れるのだ。
それなのに、得意神話は消えるどころか信者は数多い。
雇う側、雇われる側の区別なく多い。
多くの会社が潰れるのも無理はない。
得意神話の犠牲者がいなくなる日は遠そうだ。
『わが社の製品が最高品質です』
市場に求められていないなら、
どれほど性能が良くてもまったく売れないのだ。
自己紹介でもある記事
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