映画『七つの会議』に現実をみる
2020年9月7日 自宅
「映画、観ないか?」
パートナーよ。
昨日、一緒に観たばかりでしょうが。
言いたくなったが、映画狂に通じるはずがない。毎日どころか、タイミングが合えば1日中映画館で過ごす生き物なのだから。「あんた、うるさい」とか言うくせに。もちろん、鑑賞中は作品の世界に入り込んでいるので無言だ。「ポカーンと口を開ける癖を直せ」と言われるほどだ。隣から口にポップコーンを放り込まれても無意識にもぐもぐする。鑑賞後に感じたことを並び立ててしまうのだ。それを知っているのに、映画鑑賞に誘う。人のことを寂しがり屋というが、パートナーの方がどう分析しても一人が無理な子である。
映画『七つの会議』
観たことがない映画なら断ったが、誘われたのは観たことがある作品だった。新作は脳が大興奮で疲れ切るが、再視聴ならば多少は落ち着いている。それに、この作品は見直したいと思っていた作品だ。展開を知っているのでドキドキしないが、気づかなかった伏線を発見するワクワクはある。読み終わった推理小説を再び開き作者の意図を探るような感覚は、再視聴ならではの楽しみだ。
手品の裏側を見るような気持ちで作品に向かった。
スッキリしない。
エンディングだけじゃない。
全体的に、なんかスッキリしない。
面白くて納得できるけど、どこか爽快感がない。初見ではメインストーリーに意識が引っ張られて目がくらんでいたが、また見直して気づいた。ちょっとしたサブストーリーや人間関係もスッキリしない。ホワイトで、ブラックでもなく、グレーだ。わかりやすい敵がいて、主人公が倒して全部解決のようなケリがどこにもない。
とても現実的な作品だ。
意思を通しきれない環境
複雑に絡み合った人間関係
過去に足を縛られる人たち
そういえば、映画『七つの会議』の原作は元銀行員の方が書かれた小説だ。物語は、創作者の理想が詰まっている。つまり、現実はそうじゃない。どころか、逆の展開が多いのだ。それが嫌だと感じたから、せめて想像の世界だけでもと理想を描く。その視点で分析すると、スッキリしなさを詰めたこの作品が理想という事は現実がどれほど酷かったか。銀行というのは人の欲が渦巻いてしまう場所だ。想像するのは難しくない。
ただ、映画『七つの会議』は現実を排除していない。どうにもできないやるせなさを作品に持ち込んでいる。現実と理想、両方をおいしく混ぜたカフェオレのような作品だと感じた。それゆえに、理想がメインの作品よりも人生の参考になる点が多い。よく人に騙されたり、損な立場によくなる人にぜひ視聴してほしくなる。私? 「似たことあった」「あるある」「こういう反応だよね」という感想を抱いた。ブラック寄りの生き物なので、もう少し現実が多めでも無問題である。
原作者が同じスッキリするTVドラマ『半沢直樹シリーズ』が注目をあびやすいが、スッキリしない映画『七つの会議』もいい作品だよ。
見直しても、はじめに持った印象は変わらなかった。
パートナーはどうしようもない映画狂だが、その結果の審美眼は信用している。本日の映画鑑賞もステキな時間だった。ありがとう。ただし、もう一本観るとか三日連続で観るとかは遠慮する。
私は、あなたほど現実離れした存在ではないのだよ。
「こんな風になればいいのに」
それが、物語の原点だ。
自己紹介でもある記事
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