書く100倍は読んでいる
2020年9月10日 自宅
「どうすれば、書けますか?」
私にもよくわかっていない。
ただ……
日々、文章を書いている。思い浮かんだものを書き留めているだけなので、文章を作っている感覚はない。それでも、毎日、欠かさず書いている。
そのせいか、たまに文章の書き方を聞かれる。いつも、頭を抱える。半年ほど文章を習いに行ったことがあるが、そこでも文章を書ける人と書けない人に分かれた。というよりも、そこで「本当にこれまで文章を書いたことないの?」と疑われた。学校を除けば、はじめて書いた文章はアニメ『スレイヤーズ』の二次創作である。記憶はぼやけているが、妄想だけで現在と同じように一気書きをしたような覚えがある。つまり、書きたいと思った時には書けていた。書けなかった記憶がないので、いつ書けるようになったかの手掛かりがない。
ただ、文章を習った先で自分以外全員と意見が違った点がある。教える人も、教わる人も、その点では一致していたのに。私だけはノーだった。そこにヒントがある。
文章ネタが無くなる。
文章を新規に20本ほど連続で書く。すると、慣れない人は文章ネタが無くなると語られていた。ビンに詰まっていたキャンディーが食べると減るように。文章を作るたびにネタが尽きていくらしい。
すまない。
ネタが尽きる気配がまったくしない。
当時もないが、1年以上書き続けている今もない。
最初は過去の多彩な修羅場経験のおかげかと思った。だが、周りを観察していて気づいた。読んでいる量が違っていた。文章の質はともかく、日常的に読んでいる文章の量が違っていた。
あくまで平均だが、1日にブログ記事だけでも1,000~2,000時は書く。対して、読む量は本2冊分でも収まらない。1冊10万字としても20万字にはなる。体調が悪い日でもこの程度は読むので、1日でみても書く量の100倍は読んでいる。これに様々な濃い体験とこれまで読んだ文章に、ゲームや動画などの文章以外の日常ネタが追加される。しかも、私の日常は一般から少々ズレている。ネタが尽きるどころか、ビンだったら溢れてふたが締まらないレベルだ。文章20本書いたぐらいでネタに困るはずもない。
”学ぶは真似る”、まず誰かの真似をすることから技術は始まる。私は文章を書きたくて読んでいたわけでも、ネタを集めていたわけでもない。文章を読むのが好きという感情のままに行動していただけである。文章を書いている今も、読む理由は好きだからだ。読んだ結果、ブログ記事のネタになると思う事はある。けれども、文章ネタを増やすために読んだりはしない。だって、面白くないじゃないか。私は、文章の世界を心行くまで楽しみたいのだ。それ以外の思考は熱中するには邪魔である。そんなのは文章を楽しんだ後でいい。
活字中毒の欲望のままに走った。それが、真似る前の観察になっていた。寝ているしかない日の妄想が、数々読んだ本を書き写すのに近い行いになっていた。それを10年単位で繰り返した。万どころではない文章の真似を延々と続けていたことになる。おそらく、これが私が文章を書ける理由だろう。
何もないところから、言葉は生まれない。書きたいテーマがあると、すぐに言葉がポコポコと浮かぶ。これは、脳内に言葉のデーターベースがあるからだろう。使える言葉を増やしたいと思ったこともない。文章の世界に熱中していたら勝手に増えていた。
書きたければ、読む。
心が動いた文章の書き写しはおすすめだよ。
体に問題が無ければ手書きがいいよ。
結局、よく耳にする結論になる。ただ、これは文章スキルを手軽に身に着ける方法ではない。文章を書くスキルの土台を作る方法だ。スキルの土台は作るのに時間はかかるし、とても地味な作業だ。ほとんどの人は、文章スキルを楽に上げたくて尋ねる。相手の要望とたどり着いた結論がまったく合わない。だから、文章の書き方について聞かれるたびに困る。
「楽に得られるスキルなんてない」とは言いにくいのだ。
基礎は地味だ。
けれども、基礎があるからスキルが伸びる。
一時はお手軽スキルで誤魔化せても
後で欠陥住宅のように評価は崩れ落ちる。
基礎が大事なのは建築だけではない。
自己紹介でもある記事
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