失敗談は大恩人だ
2020年9月13日 自宅
失敗談
これが、私の先生だった。
今日も文章を読むため、インターネットに時間を注ぐ。気になったタイトルをザっと見る。う~ん、成功体験がほとんどだ。失敗談を読みたいのに。
人の失敗を笑いたいのではない。
「自分はマシだ」と安心したいのではない。
だいたい、誰かを下に思えるほど器用ではない。失敗の数には自信がある。言い切れてしまうほどだ。失敗談を探すのは一時の気休めが狙いじゃない。
失敗談は、人生の役に立つ。
それを、よく知っているからだ。
未経験の人生トラブルの嵐に
ひとり、立ち向かう。
経験豊富や大人のアドバイスも、潤沢な資金も、成人すらしていない。そんな貧弱体質を助けてくれたのが失敗談だった。人生トラブル対処中は気づかなかった。生活が落ち着いて、「なぜ、人生トラブルに対処できたか?」と考えた。対処のアイディアがどこから来たか。これまでを逆算したら、答えは簡単に出た。
伝記や歴史
幼稚園の頃から、歴史ものが好きでよく読んだ。図書館にあった伝記全集は全部読んだ。特に目的もなく、面白いから読んでいた。語られていた偉人の失敗する場面、そこが追い詰められたとき先を照らすランプのように道を示してくれた。
成功ではなく、失敗である。
成功した部分が役に立った記憶はない。借金で破産しそうになったとか、調子に乗って周りの人が離れたとか、親しい人たちが亡くなって孤独になったとか、どん底な状態のエピソードが知恵の宝庫だった。
偉人がピンチをどう乗り越えたか、だけではない。こちらの状況が悪くなると態度を変える周りの反応とか、騙す人の特徴とか、どういう時にトラブルが起きやすいかなど、多くの情報がとてもお役立ちだった。ある意味、ひどい体験を前もって予習していたようなものだ。実際に味わったとき、どこかで「やっぱりね」「予測してたよ」と思えた。これだけでも、心の負担は軽くなった。傷つかないわけではないが。
予習があるか、ないか。この差はとても大きい。予習していれば、そこそこ何が起こるか先読みできる。前もって対策が済んでさえいれば、人生トラブルは小さくできる。運が良ければ、トラブルが起きる前につぶすこともできる。知らなければ、気づかなければ、ドタバタ振り回される。主導権が大事なのは対人だけではない。先手を取る、これはどんな時も有利なのだ。
助けてくれる人どころか、教えてくれる人もいなかった。そんな私にとって、数々の知識と知恵をくれた本は恩人のような存在だ。その中でも、歴史・伝記は特別だ。個人的に大恩人と呼んでいる。多くの失敗談を知らなかったルートは考えたくもない。
そういう実体験があるので、つい失敗談を探してしまう。波乱に好かれている人生なので、これからも何が起こるかわからない。いざという時に困らないため、今日も私は失敗談を黙々と読んでいる。
偉人の話じゃなくていい。
どんな失敗談も、多くの情報が詰まっている。
失敗談を集める。
これ以上に効き目のある人生対策は思いつかない。
失敗談は的中率が高いのに。
どうして人は、成功体験に群がるのだろうね。
自己紹介でもある記事
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