歩くリトマス試験紙の反応記録

『ありのままに、ゆったりと、みんなで』

【歩くリトマス試験紙の反応記録】真ん中はツライよ?

真ん中はツライよ?

 

2020年9月14日 自宅

 

中庸

 

最も、難しい道だ。

 

 

最近、中庸という言葉を見かける。『偏らないことが望ましい』という意味に近い。この言葉の由来は中国だが、極端はほどほどに思考はギリシア哲学でも語られている。バランスよく考えろという意味に捉える人もいる。いろんな意見を取り入れろという意味で使う人もいる。人によって受け止め方が違う、使うのが難しい言葉だ。

 

中庸だと心が穏やかに過ごせるとか、中庸はリーダーの道だとか、中庸でない思考は独善的だとか、良いものだという扱いだ。個人的に危なっかしいなと感じる。良いものかもしれないが、とても厳しい道なのに。

 

どこにも偏らないということは、だれの味方でもない。

つまり、周りすべてが敵になる可能性がある。

 

この危険性を忘れている。

 

偏り過ぎは良くないというが、逆に言えば偏った人同士は似た意見の集まりだ。自分と同じ意見の人は好感を持ちやすい。つまり、仲間が増やしやすい。自分の真逆の意見の人と対立しやすいが、『敵の敵は味方』理論でまとまりやすくもなる。少なくとも、ぼっちにはなりにくい。

 

逆に、中庸というのは誰の意見にも耳を傾ける姿勢でもある。たとえ、客観的な視点でみれば公平な言動だったとしても、優柔不断や裏切り者と言われたりする。偏らないがゆえに、同じ意見の人同士よりは親しみも薄くなりやすい。対立する意見のグループの橋渡しになれればいいが、動き方を間違えると両方から責められる立場になる。

 

これをよく現わしているのがスイスという国だ。永世中立国、子供の頃にTVで「日本が目指すべき軍隊がない平和な国」とかコメントされていた。そんな国があるのかと気になって調べてみたら、実態はとんでもない。まず、国の成り立ちがバチカンの警備などの傭兵稼業で集まったお金、それを運営して金融国家になった。大きな軍隊がないんじゃなくて、国民全体が兵士のような時代もあった。今でも軍事訓練を受けた国民は多く個人でシェルターを持っている家庭も少なくない。第2次世界大戦のときは両陣営の戦闘機を攻撃した逸話もある、筋金入りの戦闘国家だった。お金と武力と情報という力あってこその平和国家、TVのコメントとは真逆だった。情報は疑うもの、そう実感するきかっけのひとつになった。

 

ギリシア哲学に中庸な考えを取り入れたプラトン、その師匠であるソクラテスは周りに恨みをかって冤罪に近い形で毒殺に追い込まれた。そういった言葉の持つイメージと裏腹なエピソードの数々を知っていると、 世間で言われているほど中庸の道は簡単とは思えない。少なくとも、周りすべてに非難される覚悟や責められても倒れない強い意思は必要そうだ。

 

そんな周りの拒絶を抜きにしても、中庸の思考自体が難しい。物事は常に揺れ動く。今は程よいバランスだった場所が、何かのきっかけで偏った場所に変わる。中庸であり続けようとすれば、常に時代を観察し、周囲の人たちの感情にも気を配り、自分自身の思考が偏っていないかチェックしないといけない。そこまでしても、すべての人に攻撃される可能性が残る。その難易度の高さを思うと、中庸というのは目指す姿勢であって心がけるだけで実現する在り方じゃない。

 

それなのに、中庸という言葉だけが広まっている。

なんとも、恐ろしい話だ。

 

 

自分は真ん中にいる。

 

そう言い切る人ほど、その思考は偏っている。

 

 

中庸 (講談社学術文庫)

中庸 (講談社学術文庫)

  • 作者:宇野 哲人
  • 発売日: 1983/02/08
  • メディア: 文庫
 

 

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