文章は顔で選ぶ
2020年9月16日 自宅
世の中にある、すべての文章を読めない。
まことに残念だ。
私は文章を読むことが好きだ。好きを通り越して呼吸のようなものだ。少しでも時間があれば何かを読んでいる。信号待ちやテレビCMなど1分弱のすき間も逃さない。パートナーが「よく、それだけ読むものがあるな」と呆れるぐらいだ。
それだけ時間を使っていれば、そこそこ読むスピードも速くなる。父には「パラパラとめくっているようにしか見えない」と何度も言われた。中身を解説することで読んだ証明をしたが。ちなみに、同じ本を読んだ父はそこまで覚えていなかった。個人的には読むスピードは重要じゃないと思っている。大事なのは、どれだけ内容を理解できたかだ。
多くの時間を使い、読むスピードもまぁまぁ、それでも世に存在する文章を読みきることはできない。読みたいと思ったものすら、すべては読めないだろう。図書館時代はまだ希望を持っていたが、インターネットに触れることで諦めがついた。読みたい文章が秒単位で増えていくのだ。とても追いつけない。
すべての文章を読めないなら、どれを読むかを選ぶ必要がある。面白くもない文章を読むほど、面白い文章を読む時間が削られていく。しかも、面白い文章は何度も読みたくなる。「この文章を読む時間があったなら、あの文章を読み直せばよかった」というパターンはできるだけ避けたい。結果、いかに的確に面白くない文章をはじくかに頭をひねった。
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私は、これに『顔で選ぶ』を追加している。顔の美醜だとか、年齢や性別に注目しているのでない。対面と同じで、嫌な感じがする顔の人が書いた文章を避ける。一言で言うならば『うさんくさい』、そういう雰囲気がある人の写真がついている文章を読まない。
あくまで私の経験だが、よろしくない顔の人が書いた文章はロクでもないものが多かった。詐欺まがいや騙しを勧めていたり、人様の文章の寄せ集めだったり、ひどいのになると嘘ばかりだったりした。それはそれで、おかしな人を見抜く基準のひとつになった。そういう意味では役に立ったが、好んで読みたい文章じゃない。
この手法の最大のメリットは効率がいいことだ。プロフィールや表紙をチラリと見るだけで判断ができる。デメリットは良い文章を見逃す可能性が高めなことだ。なにせ、書かれた文章を一読もしないのだから。ただ、多くても全体の10%は超えない。嫌な文章を読まずに済む時間を思えば許せる範囲だ。前書きを読むだけでも、胸がムカつくような気分になることもある。そういう精神負担がないメリットも私には大きい。
文章も創作物だ。創作物は作り手のすべてが現れる。どれほど言葉を飾っても、本性は隠せない。表紙の人と書いた人が別の場合もあるが。その場合でも、どうしても違和感がにじみ出る。どこか個性がぼやけた文章になるのだ。他者に似せようとする無理が文章の質を落としてしまうのだろう。そういう文章が面白いと、とても惜しいと感じる。本人として書いたら、どれほど面白い文章になることか。残念過ぎる。
顔にしろ、文章にしろ、
隠そうとしても隠しきれない。
本性を偽ろうとしても無駄なのだ。
自分の演技は完璧だ。
そう感じるのは、演じている本人だけである。
自己紹介でもある記事
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