歩くリトマス試験紙の反応記録

『ありのままに、ゆったりと、みんなで』

【歩くリトマス試験紙の反応記録】組織は信用の目安にはならない

組織は信用の目安にならない

 

2020年9月24日 自宅

 

参加する人数が多いほど。

 

詳しいことなんて、わかりにくくなるのにね。 

 

 

「あの組織の人がこんなことをするなんて」

 

大企業などの人数の多い組織にいる人の事件が今日もニュースになった。その度に、組織ごと批判の的になり大騒ぎになる。とても不思議に思う。

 

組織ぐるみの犯罪ならともかく、

なんで個人が起こした事件でも組織を責めるのだろう?

 

世間の信用が高めの組織は参加する人数が多い。卒業や退職などで離れた人も含めれば、万単位の人数になる組織はとても多い。その中のひとりを組織が完全に把握するなんてできない。AIなどの技術が進み、法律が変わって監視社会になれば実現可能かもしれないが。現状は、どう考えても無理だ。もうひとつ、不思議に思うことがある。

 

ある組織にいるだけで、

なんで信用するのだろう?

 

ある組織の評価が高いとしても、その中にいる人すべてが優秀なわけじゃない。さらに言えば、スキルと人格は比例しない。能力は高さを騙しに利用する人は世の中にゴロゴロいる。そういう人にとって、信用ある組織の肩書は誰かを騙すための武器にすぎない。とても古い話だが、「~の方から来ました」という詐欺まがいトークがある。~に郵便局や消防署などを入れることで相手を油断させる。もちろん、その組織の人ではない。「郵便局です」と言えばウソなので詐欺罪になるが、「郵便局の方から来ました」と言えば方角のことだと言い逃れができる。今では、ゆうちょう銀行が不祥事を起こしたので使えなくなったが。

 

信用できる人だって、時間と共に人格が変わり縁を切りたい人になることがある。それなのに、付き合いがさほどない人の信用を組織で測る。そんなことは怖くてできない。その人自身が先、組織が後だ。むしろ、私はその人をみて組織の信用を測る。決して、逆ではない。

 

最近は、組織の肩書がさらに信用できなくなった。「NTTのものです」「KDDIのものです」など、家のドアを開けると言われることがある。ちゃんと名札にも、組織名のロゴが入っている。だが、この人たちはその組織の人たちじゃない。その組織に仕事を依頼された別会社の人なのだ。いわゆる、業務委託で合法だ。名刺をみると、細かい字で元々の組織の名前が書いてある。

 

こういうテクニックは、増えることはあっても減ることはない。組織を信用の目安にするのは危険だ。それなのに、組織の肩書の威力は現在も強力だ。何十年も前の学歴を誇ったり、会社の役職を退社後も名刺の目立つところに元とつけて残す人は少なくない。その肩書に引き寄せられる人も、同じく少なくない。「あの組織の人が、まさか」という言葉が、この世から無くなる日は来ないだろう。

 

私には、とっても不思議に思える現象のひとつだ。

 

 

学歴も、職歴も、

ある時点での評価のひとつでしかないのに。

 

それに囚われ、

一生を棒に振る人が途切れることはない。

 

まるで、足に絡みつく鎖のようだ。

 

 

 自己紹介でもある記事

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