歩くリトマス試験紙の反応記録

『ありのままに、ゆったりと、みんなで』

【歩くリトマス試験紙の反応記録】活字なら10時間でも疲れない

活字なら10時間でも疲れない

 

2020年9月28日 

 

どれだけするかよりも。

 

なにをしているか、なんだろうね。

 

 

昨日届いた書籍『独学大全』、延々と読み続けている。800ページ超えの本、言葉をさらうだけなら3時間もあれば読み切れる。ぶ厚い本を読んだと自慢したいならそれでいい。だが、私の目的は違う。書かれている内容を血肉にしたいのだ。

 

まず、紹介されている方法を自分のこれまでの独学方法と照らし合わせる。その方法がなぜ効果的かを探る。そして、自分が上手に活用するにはどこをいじればいいかを考える。紹介されている55種類の方法を、ひとつひとつ分析しながら読んでいる。さすがに1日で読み終えるのは無理だ。今のペースだと、明日の午後まではかかるだろう。

 

「あんた、疲れんのか?」

 

パートナーが読書に割り込んできた。「私は、今、集中して読んでるの」との言葉と共にギロリと目を向けかけた。だが、振り返ると心配そうな顔をしていた。なので、笑顔に切り替え「楽しいよ~」と返しておいた。パートナーからすれば、睡眠・食事・トイレ・ブログ記事投稿などの固定時間以外は1冊の本に向かっているのだ。そりゃ、気にもなるだろう。 申し訳ない気持ちになった。行動を改める気はないが。昔なら、読み切るまで寝食を忘れていた。それに比べれば随分とマシになっている。許しておくれ。

 

こんな風に、医師認定の体力なしだが活字がらみは疲れない。さすがに生命保険の規約などのまどろっこしい文章ならば3時間ほどで目が滑る。そういう文章でも、同じだけの時間を動画や音楽に集中するよりは疲れは軽い。活字中毒だから疲れないのか。疲れないから活字中毒なのか。どちらが先かはわからない。ただ、活字にどれだけ費やしても疲労が軽いという事実だけが残る。

 

おまけに、活字の世界に入り込んでいると痛みを感じない。そのおかげで、鎮痛剤と胃薬も少なめで済んでいる。 もし、活字中毒でなかったら。鎮痛剤の飲み過ぎで薬物依存になったり、鎮痛剤に耐性がついて麻酔が効かなくなり手術前後に泣き叫ぶはめになっただろう。実際に、麻酔が効かない人の声を耳にしたことがあるが『断末魔って、こういう叫びなんだな』と思ってしまうほど悲痛だった。そんな恐ろしい未来を活字が防いでくれている。

 

パートナーを筆頭に、この感覚を理解してくれる人は少ない。どうも読書=疲れるというイメージが強いようだ。私の場合、疲れるどころか読む時間が削られると疲れる。イライラしやすくなる。眠りは浅くなる。頭の働きは鈍くなる。食事の回数減りよりも害だ。

 

まったく理解されないので、言い方を変えてみた。相手にとって、私の活字のような存在に言い換えたらすぐ伝わった。ちなみに、パートナーは映画で父は山歩きである。パートナーは朝から晩まで映画館にいても「スッキリした」と言い切る。父は何時間も道なき道、つまり獣道を歩き回って「明日も行きたい」と言い放つ。どちらも、疲れは肉体疲労のみだ。私の眼精疲労と同じである。

 

自分も含め、かける時間は同じなのに疲れにくい行動と疲れやすい行動がある。その実例を見かけるたびに思う。疲労というのは精神の影響が多いのだな、と。

 

だから、今日も体調不良を気にせず本を読んでいる。

 

本日の読書時間、10時間を超えた。

欠片も疲れを感じていない。

 

人間はご都合主義にできている。

 

 

楽しい作業は、何時間でも体が軽い。

楽しくない作業は、1分でもぐったりする。

 

時間では、疲労の強度は測れない。

 

 

 自己紹介でもある記事

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