感情にも飲み頃がある
2020年10月17日 自宅
すべて、その場で解消できるなら。
どれほど楽だろうね。
毎日、文章を書いている。何かを伝えたいとき、実体験はとても使いやすい。自分のことなので、どれほど酷評してもどこからも苦情が来ない。言葉を選ばずに、何でも書ける。というわけで、その日のテーマに合わせて過去の体験を引っ張ってくることが多い。
すると、
当時の感情が蘇ってくることがある。
ニヤニヤ
シクシク
プンプン
PC前でコロコロと表情が変わっていることがある。とても人前では文章は書けない。考えてみてほしい。喫茶店でPCに向かっている人が、ボロボロ泣き出したり、顔を真っ赤にしたり、かと思えば虚無の面になったり、ニヤニヤと笑いだす。隣席の人がみるたびに豹変していたら、私でも怖くなって席を立つ。喫茶店のスタッフからすれば、営業妨害以外の何物でもない。そんなわけで事情があるときを除き、誰もいない場所で文書を書くことにしている。
過去の出来事なのに
感情が引きずり出される。
そういう記憶だと、実体験中も感情的だったと考えがちだが。実際はまったく違う。どちらかと言えば、何も感じなかった出来事ほど感情が揺さぶられる。何気なく、淡々と片づけたものほど書いている最中に涙が止まらなくなる。胃がムカムカすることもある。対象が目の前にはいないのに、壁にこぶしを手首がねんざするほどぶつけたくなる。
これは、別に不思議な事じゃない。
私にとっては。
だって、知っているのだ。
強烈な感情ほど、その瞬間は味わえないものだと。
母が亡くなった時だ。私は泣けなかった。顔の表情が歪むことすらなかった。哀しくなかったわけじゃない。つい、数時間前まで電話で話していた人が、もうこの世にはいないと実感することができなかった。死に顔を眺めても、どこか現実味がなく。『母に会えなくて寂しい』という感情を受け入れるのに3年はかかった。
その体験で理解できた。
強すぎるショックは、人から感情を奪うものだと。
幼少期から感情を抑え込んで生きていたのが、感情の受け入れを遅くしてしまった点もある。幼稚園の時に叔父のお葬式でトラブルが起こったように、母のお葬式でもトラブルがあった。人生トラブルに慣れ過ぎて、『対象が先、感情は後。冷静さを失えばすべてを失う』という鉄則が身についていた。母の時も例外ではない。そのせいで、叔父に「冷たい子だ」と長々と嫌みを言われてしまったが。世間の常識が大事な叔父と常識で飯が食えるかな私との相性は最悪だった。おまけに、一部の昔からの知人を除き、ほとんどの訪問客は顔も知らない人たちだった。中学生の学生服で、愛想笑いで大人相手に一人立つ。自分の感情と向き合う余裕なんてどこにも無かった。
父?
母のお葬式は大阪府、父と私が住んでいたの鳥取県、お通夜には参加したけれどお葬式は仕事で参加していなかった。親としてダメ過ぎる行動なのだが、当時の私は何とも思わなかった。父に対する期待なんぞ中学に上がる前には消え去っていた。『どうでもいい』、元から頼る気持ちなんてなかった。母を亡くした娘を知らない人だらけの場に置き去りする父親、そんな15歳の子供に嫌みを言い続ける叔父、各種トラブルも発生、体調は悪い。我が事ながら、なんともどうしようもない状況だ。
ひどすぎるだろ。
今では感じられるのに。
当時の私は、ごく普通の出来事だと受け止めていた。
おそらく、ただでさえ母の死で心にダメージを負っているのに追加ダメージは耐えられなかったのだろう。だから、感情を閉じた。そして、現在は心に余裕があるので感情が開かれた。飲み込み済みの感情でなく、心の倉庫に仕舞っておいた未開封の感情だからこそ。表情が変わるほど感情が揺さぶられてしまうのだろう。
経験則なのだが、心に深い傷をつけた体験ほど開封には時間がかかる。傷ついた感情を受け入れない限り、トラウマが解消されることはないのだが。心に深手を負うような出来事は、心身が弱った状態では受け止めきれない。それゆえ、トラウマから逃れようとすぐに自分と向き合うのは危険行為なのだ。トラウマ解消どころか、トラウマによる症状が悪化することもある。心身の準備が整うまで、そっと仕舞いこんでおくのがいい。
焦らなくても、準備OKになれば夢とかでお知らせがくる。トラウマになった出来事と同じようなトラブルが襲ってきたりもする。引っかかる言葉を見知らぬ人から贈られる場合もあった。焼き鳥屋で封じられた記憶が解放された時は、タイミングが意味不明過ぎて驚いた。お知らせがどんな風に届くかは予測できないが。必ずお知らせがあることだけは確実である。
ここで注意するポイントがある。感情は放置するのも危険だ。私のように、記憶障害や多重人格の症状を背負うハメになる。人というのは、自身の嫌なものを見ないフリするのが得意だ。消化していない感情は、時間が経ちすぎると腐ってしまう。部屋が腐ったモノで臭くなって過ごしにくくなるように、心が乱れやすくなって落ち着かなくなる。『感情を受け入れるタイミングですよ』とのシグナルが届いたら、機を逃すことなくグイッと飲んでしまう。それが、どれほど苦かったとしても。
ワインに飲み頃があるように。
感情にも、飲むべきタイミングがある。
自在にコントロールできはしない。
こちらにできることは、感情を味わうことだけなのだ。
喜怒哀楽
自覚できるうちは、まだいい。
何も感じない時は
自身の手に負えない時だ。
興奮する動物に対したときのように、
大人しくなるまで遠くから眺めておくのがいい。
大怪我をしたくなければ。
自己紹介でもある記事
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