歩くリトマス試験紙の反応記録

『ありのままに、ゆったりと、みんなで』

【歩くリトマス試験紙の反応記録】面倒くさいは前向きだった?

面倒くさいは前向きだった?

 

2020年10月22日 自宅

 

そういう捉え方があるのか。

 

心底、驚いた。

 

 

私は面倒くさがり屋だ。余分な動作は1秒もしたくない。『最小限で最大限の効果を』『無駄を省く』『優先順位をつける』、どれも心がけているのは人生を向上させるためではない。面倒が増えるのが嫌だからだ。私はできる限り多くの時間を文章・ゲーム・動画に使いたい。だいたい、高齢者と比較しても劣っている体力しかない。貴重な体力を浪費しない為にも、作業減は必須なのだ。

 

ただ、面倒くさがり屋の世間の評価はよくない。手間を惜しまない態度で努める人が称賛されやすい。そして、平均未満の体力な生き物は組織で集中攻撃を受けやすい。表向きは笑顔な対応、裏では陰口とか嫌がらせをする。見つかったら、「体力が無いアイツが足を引っぱっている」と逆ギレする。『あなたの愚痴を上司と同僚から何度も聞かされたんですけど』と言いたくなるような目に何度あったことか。こちらの信用が落ちるので声に出したことはないが。

 

体力という改善できない弱点があるのだ。面倒くさがり屋という隙をみせるわけにはいかない。というわけで、幼少期からお世話になっている仮面を被る。面倒くさいという本音は隠し、作業の効率化という結果を前面に出す。周りからみれば、仕事に熱心な人にみえる。

 

私は学生時代に学んでいた。相手の望む結果さえ出していれば細かいことは言われない、と。結果が変わらず、後々も良くなるメリットさえあれば。いらぬ作業を減らしても、手順を変えてしまってもグチグチ言われない。あくまで、個人で決められる範囲だけだが。人生トラブルで学んだ。状況をややこしくするのは、直接には関係ない人の口出しだ、と。なので、最初から介入されるすき間を塞いでおく。人間関係の防衛システムを作るのは面倒だが、ごちゃごちゃもめるのはもっと面倒なのだ。

 

そんな風に、面倒くさがり屋を覆い隠していたのだが。

 

Twitterであるコメントをみた。

 

「面倒くさいは前向きなんですよ」

「行動しようと思うから、面倒だと感じる」

「最初から何もしようとしない人は、面倒だとすら思わない」

 

なるほど

 

確かに、『面倒だ』と思いながらも作業を放り出したことはない。包丁を振り回してくるような、集団で暴力を振るわれるような、倒れて意識が無くなるような危機的状況では手放したが。やらなきゃいけないことは片づけてきた。『なんで、こんなになるまで放っておいたんだ』と血縁を胸の内で罵倒しながらも。お葬式の流血騒ぎやら、両親のやらかしの謝罪やら、相続トラブルの手続きやら。呪われているんじゃないかと疑いたくなるような厄介ごとにピリオドを打ってきた。

 

困難に向き合う。

 

この視点で眺めると、面倒くさいは前向きと言えなくはない。少なくとも、子供に面倒な対応を押しつけた大人たちよりはマシだった気がする。そういう方たちとはバッサリ縁を切ったので、面倒くさい事態は大幅に減った。面倒くさいを削減するコツは人である。

 

面倒くさいに、私も良いイメージはなかった。

 

やっぱり、他者の視点は面白い。

 

 

面倒くさい

 

これは、改善の種である。

 

 

 自己紹介でもある記事

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