歩くリトマス試験紙の反応記録

『ありのままに、ゆったりと、みんなで』

【歩くリトマス試験紙の反応記録】寂しさもワガママよね

寂しさもワガママよね

 

2020年10月25日 自宅

 

その時間はわからない。

 

なんとも、身勝手なものだ。

 

 

ポツーン

 

珍しく、今日は一人で過ごした。いつもはパートナーが視界をウロチョロしている。本日はパートナーに用事があったので、一人の時間を満喫するつもりだったのだが。

 

どこか、テンションが上がらない。

 

何を食べても、どれだけ読書に時間を使っても、グチグチ言われることはない。やりたいことをやりたいようにできるのに。どうにも、何かをしようという気が弱い。今日の予定が決まった日は、「あれしよう、これしよう」なんて色々と思い浮かんだのに。実際に一人になると、起き上がる気力すら萎えている。食べたいものどころか、お腹も空かない。

 

寂しいなんて、慣れていたのに。

出会って12年ほどで弱くなったものだ。

 

元々、一人で過ごす時間が子供の頃から多かった。家はぐちゃぐちゃ、心許せる友達なし、血縁はダメ大人がずらりと並ぶ。母は共に過ごしていても、アルコールで会話が通じる時間が少なかった。父は調理師で出勤は早朝、帰宅は深夜な生活だった。1日のうちに誰かと話す時間が1時間を切ることも珍しくなかった。一人を好む生まれ持った性質もあり、寂しいと感じたことすら無かったのに。

 

40歳間近で、寂しさに飲まれかけるとは。

予想外だったよ。

 

もしかしたら、子供の頃も寂しかったのかもしれない。ただ、寂しさを嘆ける状況じゃなった。改善されない寂しさなんて、心を追いつめるだけだ。だから、見ないフリをしただけだったかもしれない。そう考えると、寂しさを感じられる今は幸福なのだろう。

 

それにしても。

人間とはワガママなものだ。

 

一緒にいる時は、「口うるさいなー」「作業の邪魔しないで」「一人にしてください」などなど不満が浮かぶのに。いざ、一人になると寂しくてやる気が起きなくなる。過去の一人でいるしかなかった自分が見たら。「なんて、贅沢者なんだ」と叱るだろう。

 

心許せる相手と、同じ時間を過ごす。

 

その有り難さを忘れないために、一人で過ごすのもいいのかもしれない。どれだけ心がけても、この寂しさは共に過ごすうちに薄れてしまう。その貴重さを実感するためには、寂しさを堪能する時間が必要なのだ。

 

 

夜遅く、パートナーが帰ってきた。

 

「また、食べてないのか」

 

食欲がピクリともしなかったのだから、仕方ないじゃないか。

 

ムッとしたが、同時にどこかホッとした。

 

寂しい時間は終わったのだ。

 

 

寂しい。

 

感じれる人は幸せだ。

 

大事な人と過ごす時間があったからこそ、

気づける感情なのだから。

 

 

愛されすぎたぬいぐるみたち

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