歩くリトマス試験紙の反応記録

『ありのままに、ゆったりと、みんなで』

【歩くリトマス試験紙の反応記録】大げさと感じる時は

大げさと感じる時は

 

2020年11月4日 自宅 

 

困るからでしょ?

 

自分が。

 

 

ゴホゴホ

 

体温が下がったと思ったら。今度はぜんそくの発作である。こまめに水分を飲ませてくれるパートナーには、床にめりこむほど頭を下げたくなる。あちらが治れば、次はこちらがおかしくなる。健康という言葉は私の人生にはない。

 

常時、体がおかしい。

 

これが面倒を引き寄せる。気に食わないなら放っておけばいいのに、嫌みをわざわざ言いに来る人たちがいる。よく言われたセリフが「大げさじゃない?」だ。これを意訳すると『大したことがないのに、同情してほしくて演技するとか性悪だね』となる。家庭でも、学校でも、職場でも、病院ですら言われた。私の感想は『暇人だね』、もちろん表情には出さない。笑顔でスルー一択だ。暇人に使う体力は持ち合わせていない。

 

むろん、そういう人たちばかりではない。迷惑そうな顔をするだけの人たちもいる。無言の圧力をかける人の方が言葉にする人よりも多い。気にしたところで、私の体が健康になるわけじゃない。用事が済んだら、ササッと離れる。『大げさ』という人たちと同じく、本音はみえているので関りを避ける。

 

実は、この人たちはコチラの体調を疑っているのではない。疑いメインなのは表面だけだ。本音は別の所にある。

 

『本当だったら、自分が困る』

 

体調が悪い人が同じ空間にいたら、余分な手間がかかって面倒だ。治らない病気を抱えた生徒の指導なんてしたくない。仕事をすべて押しつけられないなんて、計算が外れた。医師の自分が原因がわからない病気なんて認められない。

 

こちらの状態なんて、どうでもいい。自分に負担がくるのが嫌なだけなのだ。自分の望む展開のためには、私が体調不良だと都合が悪い。だから、「大げさじゃない?」と否定に走る。面白いのが、自分に負担が来ない立場にいると態度が変わる。こちらを気づかうセリフを吐いたり、「大げさじゃない?」などと疑うセリフを言った人を責めたりする。以前に、同じセリフを吐いた人すら。

 

自分が一番大事だ。

トラブルは避けたい。

 

その気持ちは理解できる。

 

なので、こちらの体調不良を疑う態度を責める気はない。手のひら返しの対応も慣れた。自分が過去に言ったセリフぐらいは覚えておけばいいのに、とは思う。そして、体調不良が確定した後に「そんなつもりで言ったんじゃない」と言い訳するのはカッコ悪いよ。これには、悪くなった印象を良くしたい目的と自分本位な自身を見ないフリしたい目的がある。こちらからすれば、自分自身の黒い部分すら直視できず、放った言動に責任も持てない軟弱者という印象になる。あとで自己弁護するくらいなら、最初から何も言わなければいいのに。黙っている方がよっぽどマシである。

 

ハッキリ言って、無様である。

私は同じになりたくない。

 

絶対に同類になりたくないので、何かを『大げさ』と感じてしまった時は自分本位モードと私は判断する。だいたい、『大げさ』の基準があいまいだ。身体の痛みだけでなく、精神の負担も、トラブルから受けるダメージも、作業による疲労も、すべて感じ方は人それぞれだ。他人に『大げさ』と判断する権利はない。

 

自分がされて嫌だったことは、他人に行わない。

 

これを実行している人は少ない。

大嫌いな人間と同じになるのにね。

 

 

他者にはされたくないが、自分はする。

 

こういう人は世の中にはたくさんいる。

おまけに、そんな自分を認めることすらしない。

 

批判しても変わらない。

 

コチラにできることは

同じ人間になるか、ならないかいか、選ぶ事だけだ。

 

 自己紹介でもある記事

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