幸運と不運は釣り合わない
2020年12月24日 自宅
同じ時間を過ごしてもね。
一致することは決してない。
うまー。
出前でパエリアを頼んだ。だが、最も舌を喜ばせたのはそれではない。パイ包みクリームシチューが予想を上回った。今日はクリスマスイブだ。パートナーへの日頃のお礼を兼ねて、ちょっとお高い料理を注文した。メニューの中にパートナーの好物があったので購入した。こってり系のスープは今の体調では厳しい。胃もたれと胸やけ覚悟で口をつけたのだが。ふらんふらんな身体でも美味しくいただける味だった。
それにしても。
今年は出前を頼める店が増えた。感染症の流行前の5倍は注文先がある。出前が増えているのは、飲食店が生き残るための苦肉の策だ。ほとんどの飲食店にとっては、不運としか言いようがない。けれども、外出があまりできない貧弱体質にとっては喜ばしい。
誰かにとっての幸運が、自分にとっての不運
自分にとっての幸運が、誰かにとっての不運
大っぴらに口にすると不謹慎と責められるが、こういうパターンは世の常だ。多くの人が嘆き悲しみ、何十年も苦しむような災害や戦争ですら「幸運だ」と喜ぶ立場の人たちがいる。すべての人が幸運、すべての人が不運という世界はどちらもあり得ない。ただ、どちらの立場に属しているかの違いでしかない。
身近な例をあげると、イジメや虐待だ。被害を受けている側からすれば不運としか言いようがない。それが加害者の立場だと、「近場にストレス発散のサンドバックがあってラッキー」となる。似たようなセリフを言われたことが実際にある。同じ場所に存在している小さなコミュニティ内ですら、立場で幸運・不運に分かれるのだ。
そういう世の中の仕組みを身をもって知ったので。私は幸運な時は喜び過ぎず、不運な時は嘆きを抑える。幸運の陰には、どこかで泣く人がいる。不運の裏には、どこかで笑っている人がいる。どちらの場合でも、過剰な反応は人生の落とし穴へのご招待につながるのだ。
「自分がこんなにツラいのに、あんな嬉しそうな顔をしやがって」
「せっかく楽しんでいるのに、暗い顔するなよ」
こういうセリフを耳にしたことが何度もある。私は笑顔の仮面で感情を隠すタイプなので、直接言われたことはないが。陰口を叩かれていたのは把握している。感情を抑えても恨みを買うことがあるのだ。無警戒に心の内をさらけ出そうとは思わない。
「そんなことありませんよ」
日本には、謙遜(けんそん)という文化がある。自己否定だの、才能をつぶすしきたりだの、現代では叩かれやすい文化だ。ただ、この文化には他者の恨みを最小限にする効果はある。謙遜だけは、自己アピールが必要な現代には合わなくなったが。うまく使えば、人生トラブルを避ける武器になる。
幸運を喜ぶ。
不運を嘆く。
当然の感情だが、浸りすぎれば人生をつぶす。
せめて、周りを観察できる冷静さは保ちたいものだ。
幸運は不運につながり、
不運は幸運につながっている。
人が思うほど、
このふたつは離れていないのだ。
自己紹介でもある記事
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