歩くリトマス試験紙の反応記録

『ありのままに、ゆったりと、みんなで』

【歩くリトマス試験紙の反応記録】人の生死は状況では決まらない

人の生死は状況では決まらない

 

2019年8月6日 自宅

 

調べ物でネットで検索をしていても、人が亡くなったニュースが目に入る。それだけ、悲しい事件が流れることが増えたのだな、と思考に沈む。『知られるようになっただけマシなのか?』『情報が流れることで模倣犯が増え、更に事件が増加しているのか?』どちらが事実に近いのか、いつも考えてしまう。

 

「タバコを吸う人の死亡率は高い」

「不規則な生活は寿命を縮める」

「災害時の備えをしておかないと助からない」

 

ビッグデータなど万単位の人数で確率を出すなら、これは正しい。だが、個人のレベルで考えると当てはまらないこともある。生死の境はそんな単純なものじゃない。

 

私は線維筋痛症だ。この症状は死亡率が高い。線維筋痛症は死に至る病ではない。しかし、痛みがずっと続く状況に耐えられず心を壊す人がとても多い。根本的に治す治療法がないのも、絶望に拍車をかける。結果、自殺を選んだり衰弱して亡くなったりする。

 

だが、みんなが死ぬわけじゃない。私より軽い症状で死を選ぶ人もいれば、ずっと起き上がれないほど症状がひどくても日々を明るく過ごしている人もいる。その差はきっと身体の違いじゃない。心のあり方の違いだ。

 

そして、残酷な話だが運も大きく関係する。津波で沖に流されても無事に生還する人もいれば、家の階段で転んで命を落とす人もいる。信号無視が当たり前の人が事故に合わず、逆に青信号を渡っている人が車に轢かれる。悪人が早死するわけでもなければ、善人が長生きするわけでもない。

 

極論を言えば、人の生死に決まりなんてない。どれほど心身ともに健康でも、どんな病気も最高の治療が受けられるお金を持っていても、災害が起こる確率が低い場所に住んでいても、死ぬ時はあっけなく死ぬ。人がコントロールできない分野だ。

 

希望が持てる話もある。医療の進歩で「あと3日の命です」と医師に宣告された人が、その予想を裏切り回復するパターンが世界中で増えている。昔は不治の病だった病気が治療可能になった例もある。ガンやエイズのように治せなくても、生きる時間が伸びている病気もある。

 

『何歳まで生きられるか?』

 

この問いに答えられる人はいない。次の1秒で死ぬ確率は、どんな人にもある。人生100年時代と言っても、100歳まで生きる保証はない。もしかしたら、100歳を超えて生きているかもしれない。どれだけ悩んでも答えはでない。だからこそ、私たちにできることは毎日を最期の1日だと思って大切に過ごすことだけだ。自分も、周囲の人たちも、明日を生きている保証はないのだから。

 

いい人生だったかどうかは、最期の瞬間までわからない。

 

「死」とは何か イェール大学で23年連続の人気講義

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